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白田信幸
日本のフードファイター、タレント、実業家 (1979-) ウィキペディアから
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白田 信幸(しろた のぶゆき、1979年〈昭和54年〉4月20日 - )は日本の元フードファイター、タレント、実業家。栃木県宇都宮市出身。フリー[4]。血液型はAB型[1]。
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概要
身長195cm、体重91kgの体躯からジャイアント白田の愛称があり(名付親は中村有志)、2000年代後半頃からは愛称で活動する方が多い。そのほか、フードバトルクラブでは「大食い大魔人」という異名がある。2007年にフードファイターを引退。現在、バラエティ番組、イベントなどで活動中。
テレビに出演することが多いため、大食いタレントとして扱われることが圧倒的に多いが、フリーランスであることを理由に素人に分類されることもあり、本人曰く「大食いタレントなのか素人なのか微妙な立場である」と、公式ブログに綴っている[4]。
経歴
- 2001年
- 4月 - 『TVチャンピオン 全国大食い選手権 〜恐るべし! 九州縦断ニューフェイス決戦~』(テレビ東京系列)で準優勝。
- 6月 - 日本大食い協会主催の「第一回全日本大食い競技選手権」において100時間の大食い大会に参加。5位。
- 9月 - 『TVチャンピオン 全国大食い選手権 〜スーパースター頂上決戦〜』優勝。
- 10月 - 『フードバトルクラブ the 2nd』(TBS系列)優勝。
- 2002年
- 2004年
- 7月 -「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」に日本代表として出場。12分間にホットドッグを38.5本完食し、59.5本を食べた小林尊に次ぐ2位となった。
- 2005年
- 11月 - テレビ東京系列の『元祖!大食い王決定戦〜信州・上越編』に出場し、決勝の燕三条系ラーメン勝負ではドクターストップがかかり、3位となった。
- 2006年
- 2007年
- 2008年
- 2009年
- 2015年
- 東京・大井町にフランチャイズ第1号の「串カツ しろたや 大井町店」をオープンする[11]。
- 2018年
- 水曜日のダウンタウンでの企画、「テレビに食べ物が映ったら同じもの食わなきゃいけない生活、フードファイターなら24時間ギリ達成できる説」にて早々にリタイアした事が話題となり、「食べられないキャラ」が定着する一因となった[12]。
- 2022年
- Sports Graphic Numberのインタビューを受けた際、食べられる量はピーク時の6分の1以下になったこと、量を食べる仕事は断り、出演オファー自体積極的には受けていないことを明かした[13]。
- 2023年
- 8月9日、スマートフォンゲーム「モンスターストライク」のYouTube生配信企画で「ジャイアント白田ラストマッチ」と題し、「日清焼そばU.F.O.爆盛バーレル」を30分以内に何杯食べられるかのチャレンジを実施[14][15]。
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主な記録
エピソード
- Wiiウェア用ゲームソフト『メジャーリーグ・イーティング』の日本版には、白田をモデルとしたキャラクターが登場する。
- ニンテンドーDS用ゲームソフト『みてはいけない』(ディンプル)に本人名で登場する。
- デビュー戦で1日に100個近い卵を食べた経験から卵料理が苦手になった[16][17]
- 2008年1月20日放送のテレビ東京系企画番組『田舎に泊まろう!』に出演し、放送直後の2008年1月23日、同番組の過剰演出をブログで暴露した[18]。
- フードファイトを「トッププレイヤーらとのストイックな真剣勝負の場」として戦っていた白田だが、2005年頃からの第2次大食いブームの中でギャル曽根などのバラエティー的な面白さを備えたタレントが人気を集めるのを見て「命をかけられない」と大食いへのモチベーションを失った。結果的にこれが大食い引退と飲食店経営者への転身に繋がったという[19][20][21]。
- フードファイトには真摯に打ち込んでおり、バラエティのノリでやるようなことは嫌がっていた[22]。
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出演
現在
過去
映画
ゲーム
CM
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著書
- 〈ジャイアント白田〉最強の飲食店づくり〝大食い王〟があらゆるメニューを食べ尽くしてみてわかったコト(2011年1月25日、ぱる出版)ISBN 978-4827206180
脚注
外部リンク
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