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真崎秀樹

日本の外交官 ウィキペディアから

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真崎 秀樹(まさき ひでき、1908年明治41年)4月1日 - 2001年平成13年)11月14日[1][2])は、日本外交官。1959年から1964年までと1969年から1989年まで宮内庁昭和天皇通訳を務めた[3]

陸軍大将真崎甚三郎は父[4]貴族院議員長谷川赳夫は妻の父[4]

生涯

佐賀県出身[2]東京府立第四中学校一高を経て、1931年東京帝国大学法学部卒業[4]1934年外務省情報部嘱託[4]1939年に外務省翻訳官[4]1940年大使館二等通訳官中華民国上海駐在[4]1941年アメリカ在勤[4]1942年1月に中華民国在勤、上海駐在、9月に一等通訳官、10月に帰国[4]1943年5月に陸軍通訳官・比島軍政監部付、10月に大使館三等書記官[4]を歴任。

第二次世界大戦後の1945年終戦中央連絡官[4]1948年に連調中央連絡調整官[4]1949年に外務省連絡局地方課[4]1950年に外務省連絡局法制課長[4]1951年に外務省国際協力局四課長[4]1953年に外務省情報文化局二課長[4]1954年1月にアメリカ一等書記官、10月にニューヨーク領事[4]1956年イギリス一等書記官[4]1959年から宮内庁侍従職御用掛[4]1964年から駐アフガニスタン大使[4]1968年から臨時外務省事務[4]。1969年に免官[4]1969年から1994年まで外務省参与[4]。1969年から1989年まで宮内庁御用掛[4]

2001年11月14日、前立腺癌のため東京都世田谷区の自宅で死去。93歳没[2]

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著作

  • 読売新聞社編 編『側近通訳25年 昭和天皇の思い出』読売新聞社、1992年12月。ISBN 9784643920987 NCID BN08535233全国書誌番号:93018635

脚注

参考文献

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