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石田治子
日本のフィギュアスケート選手 (1945-) ウィキペディアから
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石田 治子(いしだ はるこ、本名:岡本 治子、1945年〈昭和20年〉11月16日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手並びに指導者。妹は歌手・女優いしだあゆみ、石田ゆり(作詞家なかにし礼の夫人)。
経歴・人物
大阪府池田市出身[1]。大阪教育大学附属池田小学校、相愛中学校・高等学校、同志社大学卒業。
母が大阪市北区の「梅田スポーツガーデン」(梅田阪急スケートリンク[2]、跡地は現・阪急電鉄本社ビル[3])内で喫茶店を経営していたのをきっかけに附属池田小3年生からスケートを始め、田中鉄太郎[4]、稲田悦子に指導を受けた[5]。
大学在学中の日本選手権3位で1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場し、26位だった。大学卒業後の1968年に引退し、指導者としては、小林れい子、青谷いずみ、柏原由起子等を育てた。一時期コーチ業から離れるも、浜田美栄に要請され宮原知子らの指導をした[6]。
いしだあゆみと石田ゆり(なかにし礼夫人)はともに治子の実妹でフィギュアスケートを習っていた[7]。また治子の実子は松雪可奈子(まつゆき かなこ)の芸名で宝塚歌劇団に在籍していた(1995年入団・1999年退団、雪組娘役)ことも知られる。
妹婿なかにし礼の小説『てるてる坊主の照子さん』に春子として登場。2002年(平成15年)の舞台化では宮崎優子が、2003年にNHK(日本放送協会)朝ドラ(連続テレビ小説)でテレビドラマ化の『てるてる家族』では紺野まひるが演じている。また、同番組では紺野のスケート指導も担当した。紺野と松雪とは歌劇団・雪組の1期違い(松雪が先輩)にあたる。
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主な戦績
脚注
関連項目
外部リンク
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