トップQs
タイムライン
チャット
視点
福建高等法院金門分院
ウィキペディアから
Remove ads
福建高等法院金門分院(ふっけんこうとうほういんきんもんぶんいん、通称:金門高分院)は、中華民国福建省金門県金城鎮に所在する通常裁判所である。かつては福建高等法院廈門分院(ふっけんこうとうほういんアモイぶんいん)と称した。本院たる福建高等法院は、1949年(民国38年)に閉鎖されて以降、組織としての実態を有していないため、金門分院は行政的には司法院の直接管轄下に置かれている[1][2][3]。
Remove ads
沿革
- 1922年(民国11年)11月 - 福建高等審判庁第一分庁として廈門道思明県に設置される。
- 1927年(民国16年) - 福建控訴法院廈門分庭に改称。
- 1928年(民国17年) - 福建高等法院第一分院に改称。
- 1932年(民国21年) - 火災のため庁舎が焼失し、民家を借用して仮庁舎とする。
- 1935年(民国24年) - 思明県が市制を施行して廈門市となる。
- 1936年(民国25年) - 思明南路65号の庁舎(旧:思明県政府紫陽楼)に移転。
- 1938年(民国27年)5月 - 廈門が日本軍に占領されたため、竜岩県(現:竜岩市新羅区)に移転。
- 1945年(民国34年)10月18日 - 廈門に戻り、民国路の台湾公会を仮庁舎とする。
- 1946年(民国35年)4月 - 竜岩分庭を設置。
- 1948年(民国37年)2月 - 福建高等法院廈門分院に改称。
- 1949年(民国38年)10月17日 - 第二次国共内戦の劣勢に伴い、中華民国政府が廈門を放棄。
- 1951年(民国40年)11月6日 - 台湾省台北市に移転して業務を再開[2]。金門県には年に2回(重大事件はこの限りではない)、連江県(馬祖列島)には事件数に応じて不定期に出張し、それぞれ裁判を開く形式が取られるようになる[4]。
- 1990年(民国79年)7月1日 - 福建高等法院金門分院に改称[2][3]。
- 1992年(民国81年)11月7日 - 金門・馬祖における戦地政務が終了する[5]。
- 1993年(民国82年)2月15日 - 金門県金城鎮民権路178号(現在地)に移転[2][3]。
Remove ads
業務内容
組織
- 院長
審判部門
- 民事庭
- 刑事庭
行政部門
- 書記処(書記官長)
- 民事紀録科
- 法官助理室
- 刑事紀録科
- 文書科
- 総務科
- 研究考核科
委員会
- 法官自律委員会
- 法官会議
歴代院長
Remove ads
脚注
参考文献
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads