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秋月種備
日本の江戸時代中期~後期の武士。日向高鍋藩7代藩主秋月種茂五男で、江戸幕府旗本秋月種穀養子。旗本秋月氏7代当主。本所深川出火之節(火事場)見廻役を勤める ウィキペディアから
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秋月 種備(あきづき たねとも)は、江戸時代中期の旗本寄合席。通称は式部。高鍋藩主秋月家分家の旗本寄合席・木脇領主秋月家7代当主。石高は日向国諸県郡、宮崎郡内3,000石。
生涯
秋月種茂の五男として誕生。幼名は和三郎。兄に高鍋藩主となる秋月種徳や秋月藩主黒田長舒がいた。
安永5年(1776年)に種穀の死を受けて、11歳で高鍋藩分家の旗本寄合席秋月家を相続し、天明8年4月(1788年)に徳川家斉に初めて御目見を済ます。
寛政3年(1791年)刊行の須原屋茂兵衛蔵版の武鑑において、御寄合衆に「秋月式部」とある。また、同年7月17日(1791年8月16日)より本所深川火事場見廻役に就任する。
寛政5年(1793年)に死去。享年28。法名は紹観。墓所は下谷広徳寺の梅雲院。
男子がいなかったために、高鍋藩連枝の新小路秋月家当主である秋月種懐(此面)の子で、従弟にあたる種賀を婿養子に迎えて跡を継がせている。
系譜
脚注
参考文献
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