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秋田県立秋田養護学校
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秋田県立秋田養護学校(あきたけんりつ あきたようごがっこう)は、かつて秋田県秋田市新屋栗田町にあった公立特別支援学校。肢体不自由者を教育対象としていた[1][注釈 1]。
平成22年、秋田県立秋田きらり支援学校開校に伴い閉校。
概要
1962年に、秋田県立養護学校として開学。最終的な主体は肢体不自由者に対する教育であった[1]が、沿革にもあるように、当校の分校・分教室は、知的障害者・病弱者を扱っていた所もあり、これらが独立した養護学校(特別支援学校)となったものも存在する。また、通学が困難な児童や生徒のために訪問指導や中通病院小児科病棟内での院内学級 などもあった[1][2]。
秋田県立勝平養護学校開校後の一時期は寄宿舎を設置していたが、閉校以前に廃止されており、通学制の学校となっていた。
2010年2月22日に閉校した。これまでに小学部487人、中学部549人、高等部285人の計1321名が卒業している[3]。また、在職した教職員は713名にものぼった。本校跡地は、近隣に所在する秋田県立栗田養護学校(現・秋田県立栗田支援学校)の高等部「環境・福祉科」(2021年4月より「総合サービス科」)の施設として利用されている。
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沿革
- を設置。本校を除くこの3分校は、いずれも病弱者対象
- 1965年 - 太平療育園入所者を対象とする部門として、II部を設置。
- 1974年 - 秋田県立秋田養護学校に改称。秋田分校を廃止、大館分校を大館市教育委員会へ移管(のち廃止)[注釈 2]、本荘分校が秋田県立本荘養護学校として独立。秋田県太平療育園の移転に伴い、太平療育園入所者を対象としていたII部が勝平分校に改称のうえ、移転。
- 1977年 - 雄勝郡稲川町(現・湯沢市)にやまばと分校を設置。
- 1979年 - 勝平分校が秋田県立勝平養護学校として独立、やまばと分校を秋田県立南養護学校(現・秋田県立横手支援学校)へ移管(1987年に秋田県立稲川養護学校として独立)。
- 1980年 - 高清水分校・若竹分校・南浜分教室を統合し栗田分校を設置。
- 1986年 - 栗田分校が、秋田県立栗田養護学校(現・秋田県立栗田支援学校)として独立。
- 1999年 - 若美町(現・男鹿市)の払戸小学校に、知的障害者を対象とした南秋分教室を設置。
- 2003年 - 秋田県立養護学校天王みどり学園(現・秋田県立支援学校天王みどり学園)の開校に伴い、南秋分教室を廃止。
- 2004年 - 国立療養所秋田病院と本荘養護学校の廃止に伴い、岩城町(現・由利本荘市)の国立療養所道川病院(現・独立行政法人国立病院機構あきた病院)内の道川分教室を移管。
- 2010年 - 秋田県立秋田きらり支援学校設置に伴い、勝平養護学校とともに閉校。道川分教室は、秋田県立ゆり養護学校(現・秋田県立ゆり支援学校)へ移管。
- 2月20日に閉校式、語る会などが行われた[3]。
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学部
- 小学部
- 中学部
- 高等部
行事
出典は[4]
- 4月 入学式
- 5月 運動会
- 10月 学習発表会
- 3月 高等部入学選考
- 秋田工業交流会
過去に存在した分校・分教室と教育領域
秋田県立養護学校時代
- 秋田分校…病弱
- 大館分校…病弱
- 本荘分校…病弱→のちの秋田県立本荘養護学校
秋田県立秋田養護学校時代
- 勝平分校…肢体不自由 → のちの秋田県立勝平養護学校
- やまばと分校…知的障害 → 秋田県立南養護学校やまばと分校→現在の秋田県立稲川支援学校
- 高清水分校・若竹分校・南浜分教室…知的障害 → 統合され、本校栗田分校となった
- 栗田分校…知的障害 → 現在の秋田県立栗田支援学校
- 高等部訪問教育本荘教室…病弱 → 秋田県立本荘養護学校高等部訪問教育に移行
- 南秋分教室…知的障害 → 潟上市に移転のうえ、現在の秋田県立支援学校天王みどり学園
- 道川分教室…病弱 → のちの秋田県立ゆり支援学校道川分教室
脚注
関連項目
外部リンク
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