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科野大宮社
長野県上田市にある神社 ウィキペディアから
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科野大宮社(しなのおおみやしゃ)は、長野県上田市にある神社。信濃国総社と推定され、旧社格は県社。
祭神
- 主祭神
- 相殿神
- 健御名方富命 (たけみなかたとみのみこと)
歴史
社伝によれば、第10代崇神天皇の御世に神八井耳命の孫・建五百建命(たけいほたけのみこと)による創建という[2]。
天武天皇の御世に神地の下賜があり、天平年間(729年-749年)には官祭執行の儀があったともいう[2]。
信濃国府は古来上田市にあったとされるが、平安時代初期に松本市へ移されたとされる[3]。上田市の国府は神科台地上と推定されており[3]、当社は国司が参拝する総社であったとする説がある。なお、付近には信濃国分寺跡・信濃国分尼寺跡も残っている。
当社は古来「総社大宮」「科野国魂神」と称したといわれ、中世には常田荘の中心に位置し、「大宮諏訪大明神」と称したと伝える[4]。康安2年(1362年)には関東管領足利基氏が、彗星出現につき天下安全を当社に祈り、願文を奉ったとされる[5]。
真田氏による上田城築城以来、当社は城の鎮守と定められ、信濃国分寺三重塔と当社は藩費をもって修繕したという[4]。寛文9年(1669年)頃の城下町古地図には「常田村大宮」と記載されている[4]。
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境内
境内には大木が何本も立っており、社叢は市指定天然記念物に指定されている。
現在の社殿は、万延元年(1860年)の上田城主・松平忠礼の再建によるもの[4]。境内社の六所明神と駒形稲荷社は、天正年間の築城の際に上田旧城地から当地に移されたと伝える[4]。
- 本殿(右)と稲荷社(左)
文化財
上田市指定文化財
- 科野大宮社社叢 - 昭和44年5月9日指定。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 周辺
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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