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稲垣長以
江戸時代の大名 (1749-1823) ウィキペディアから
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稲垣 長以(いながき ながもち[1][2])は、江戸時代中期の大名。志摩国鳥羽藩3代藩主[1][2]。官位は従五位下・摂津守。鳥羽藩稲垣家7代。幼名・富之助[1][2]。
生涯

寛延2年(1749年)1月14日、2代藩主・稲垣昭央の長男として誕生した[1][2]。明和4年(1867年)12月16日従五位下和泉守[2]。
安永2年(1773年)7月22日、父の隠居により家督を継ぐ[2]。また摂津守に改める[2]。
藩政においては天明の大飢饉による被害は幸い大きなものとならなかった[1]。寛政4年(1792年)大風雨によって鳥羽城の城壁が被害を受けると幕府の許可を得て修復[1][2]。
寛政6年(1794年)11月10日致仕[2]。養子としていた弟の長守が早世したため[1]、家督を養嗣子の長続に譲って隠居した。長続が文政元年(1818年)に死去した後は、次いで藩主となった長剛が幼少のため藩政を後見した[1]。文政6年(1823年)5月14日[1][2]、75歳で死去した。
系譜
父母
正室、継室
養子、養女
出典
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