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羽地登志晃
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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羽地 登志晃(はじ としあき、1978年8月28日 - )は、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFW。
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経歴
天理大学在学中にセレッソ大阪へ加入するも2シーズンに渡り出場機会に恵まれなかった。
2002年9月にJFLに所属していた佐川急便大阪へレンタル移籍。公式戦6戦で4得点、天皇杯でも1得点を挙げるなど活躍するも、同年限りでセレッソ大阪との契約が満了となる。
その後モンテディオ山形、ジェフユナイテッド市原、柏レイソルと渡り歩き、2005年よりJリーグ(J2)へ参入したばかりの徳島ヴォルティスへ移籍。徳島では2005年に12得点、2006年に9得点を挙げるなどエースストライカーとして充分な成績を残した。
2007年のシーズン中にヴァンフォーレ甲府へ移籍したが、出場機会を失ったため2009年に古巣・徳島ヴォルティスへ復帰した。
2010年限りで現役引退。引退後は徳島の育成コーチに就任。
2021年現在は、徳島県サッカー協会にて、技術担当専任者テクニカルダイレクター技術委員長を勤めていながら、自身もO-40の大会に徳島SFCの選手兼任監督として登録、全日本O-40サッカー選手権にも出場している。[1]
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プレースタイル
長身を生かしたヘディングシュートを得意とする[2]。
個人成績
指導歴
エピソード
- 現在カターレ富山に在籍している川崎健太郎とはセレッソ大阪時代の同期で、ともに佐川急便大阪へレンタルされたのち同時に戦力外通告を受け、翌年一緒にモンテディオ山形へ移籍している。なお、羽地が山形に在籍したのはわずか1年であったが、川崎は2005年まで所属していた。
- 2004年に出場機会を求めて柏レイソルにレンタル移籍したが1得点しか挙げられなかったため、柏サポーターから降格危機の槍玉に挙げられてしまった。
- ヴァンフォーレ甲府にとって初めてシーズン中に他チームから完全移籍で獲得した選手でもある。当時の甲府はJ1残留争いを演じており、2005年のJ2日本人得点王である長谷川太郎を見返りにレンタル移籍させてまで徳島から獲得したが、羽地は思ったように活躍ができずに甲府はJ2降格、徳島も長谷川が羽地の穴を埋めることができずに2年連続最下位の憂き目に遭ってしまった。
脚注
関連項目
外部リンク
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