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興正寺 (名古屋市)
名古屋市にある仏教寺院 ウィキペディアから
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興正寺(こうしょうじ)は、愛知県名古屋市昭和区八事本町78にある真言宗系の寺院。
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概要
包括団体は高野山真言宗。山号は八事山。通称は八事観音。本尊は大日如来。境内は西山本堂などがある西山普門院と奥之院がある東山遍照院に分かれている。
名古屋市管理の興正寺公園が隣接しているほか、境内に整備した交番/立体駐車場が[八事交番/八事山興正寺 参拝者駐車場]として、2012年度グッドデザイン賞受賞[WEB 1]。
歴史
高野山において弘法大師(空海)の五鈷杵(ごこしょ)を授かった天瑞圓照が1686年(貞享3年)に草庵を結び、1688年(貞享5年)に創建。1688年尾張藩二代目藩主徳川光友の帰依を受け「八事山遍照院興正律寺」の寺号を賜り、以来、尾張徳川家の祈願寺として繁栄し「尾張高野」とも称される[新聞 1]。
霊場としては名古屋市観光協会の後援により昭和30年頃には大名古屋十二支の恵当寺として卯年の護り本尊の文殊菩薩の霊場となり、1987年(昭和62年)にはなごや七福神の寿老人の霊場になった。
伽藍
札所
行事
文化財
重要文化財(国指定)
- 興正寺五重塔
名古屋市指定文化財
名古屋市都市景観重要建造物
- 総門(解体保存)
舞踊妙手西川嘉義之碑
一世を風靡した著名な舞踊家西川嘉義が自殺したことを悲しんだ親族である坪内逍遥の撰文による記念碑が、1922年(大正11年)八事興正寺に建てられた[1]。その中で、逍遥は次のように嘉義の事を評している。

舞踊の名師、古来其人夥し。然れども自ら打扮して演舞し、其妙技克く他をして恍惚たらしむる者多からず。風貌の秀と芸の品位と技の洗練とを併せ備へざれば能はざればなり。織田嘉義の如きは、其多からざる者の瑞一か — 「西川嘉義碑(八事興正寺)」坪内雄蔵(逍遥)碑文(抜粋)[2]
初代西川鯉三郎を名古屋に招いた一番弟子で、1863年(文久3年)名取(苗字免許)第一号にして、名古屋西川流の柱であった西川嘉義の母西川幾の墓碑もある[WEB 4][WEB 5]。
所在地
- 愛知県名古屋市昭和区八事本町78
周辺
交通手段
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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