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舞岡町
横浜市戸塚区の町 ウィキペディアから
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舞岡町(まいおかちょう、英: Maioka-chō)は、神奈川県横浜市戸塚区の町名。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施[5]。
地理
戸塚区東部に位置し、面積は2.377km²[2]。南北に長く、地域南部にある舞岡公園付近を源流とする舞岡川が町南部から北部へと流れ、谷戸を形成している。町域の中部及び南部のほぼ全域が市街化調整区域とされ、町の中部から南部にかけて農業保護、振興及び景観保全のために舞岡ふるさと村に指定されており農業が盛んある。さらに町の南部は舞岡公園や舞岡ふるさとの森として緑地保全されている。北部側は国道1号にも近く宅地化されており用途地域は第一種低層住居専用地域、第一種住居地域、準工業地域になっている。
字名
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地価
住宅地の地価は、2024年(令和6年)7月1日の神奈川県地価調査によれば、舞岡町字西根3693番6の地点で16万3000円/m²[6]、舞岡町字古屋敷3340番1外の地点で11万3000円/m²となっている[7]。
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歴史
沿革
かつての鎌倉郡舞岡村で、1889年(明治22年)に上柏尾・下柏尾・前山田・後山田・品濃・平戸の各村および永谷村飛び地と合併、川上村となる。1939年(昭和14年)4月1日に横浜市戸塚区に編入され、戸塚区舞岡町が新設された。地名の由来ははっきりしないが、古くは腰村と呼ばれていたが、1302年に白旗が空に舞った吉事にちなみ舞岡に変わったと言われ[8]、延慶2年(1309年)に南条時光が資産を嫡子南条時忠に譲った書面に「まいおか」と記されている[9]。その後「前岡」も用いられ、後北条氏の作成した『小田原衆所領役帳』[10]や、1737年の庚申塔に「前岡」の記述がみられる[11]。南部の一部は昭和40年台に宅地開発が行われた結果、1980年11月10日に南舞岡一丁目~四丁目が新設され、舞岡町から分離した。
世帯数と人口
2025年(令和7年)6月30日現在(横浜市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年11月時点)[18]。
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事業所
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[19]。
事業者数の変遷
経済センサスによる事業所数の推移。
従業員数の変遷
経済センサスによる従業員数の推移。
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交通
道路は町北部には県道横浜伊勢原線、中部には都市計画道路舞岡上郷線が、いずれも東西に通る。また都市計画道路上永谷大船線町の一部区間が整備中であり、道路交通網の結節点となっている。さらに中部から南部にかけて上永谷戸塚線の延伸計画があったが、舞岡ふるさとの森の緑地保全も考慮された計画見直しにより廃止となった[21]。
町中部に横浜市営地下鉄ブルーライン舞岡駅がある。中部および南部は江ノ電バス横浜の複数の路線が地域内を経由し、また北部には神奈川中央交通舞岡営業所があり、そのどちらも戸塚駅へのバスを高頻度で運行している。
主な施設
教育機関
地域が南北に長いため小中学校の学区は地区内の舞岡小学校・舞岡中学校をはじめ隣接地域の複数の学校に設定されている。
企業
寺社仏閣
丘陵の尾根沿いに鎌倉街道(中の道)とされる古道があり、そのため源氏、北条氏との関係のある寺社などが残っている。また、北西端は東海道の旧道と接している。
遺跡
その他
日本郵便
警察
町内の警察の管轄区域は以下の通りである[25]。
脚注
参考資料
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