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芝祐靖
日本の雅楽師 ウィキペディアから
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芝 祐靖(しば すけやす、1935年〈昭和10年〉8月13日 - 2019年〈令和元年〉7月5日)は、日本の雅楽師、作曲家。勲等は文化勲章。株式会社ブルーシート所属、日本芸術院会員、文化功労者。筆名として祁笛(きてき)を用いることもある。
宮内庁式部職楽部楽師、東京芸術大学音楽学部講師、一般社団法人伶楽舎代表理事、国立音楽大学音楽学部招聘教授などを歴任した。
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概要
東京府出身の雅楽師である。日本芸術院会員である芝祐泰の三男として生まれた。宮内庁の式部職にて楽部の予科、本科を経て楽生科を卒業し、のちに楽部にて楽師を務めた。また、東京芸術大学や国立音楽大学で教鞭を執り[1]、後進を育てた。雅楽演奏集団である「伶楽舎」の結成に参画すると、その音楽監督を務めるとともに、代表理事などを歴任した。なお、音楽事務所である「ブルーシート」に所属していた。その業績に対しては、芸術選奨文部大臣賞や日本芸術院賞・恩賜賞などが授与されており、2017年には雅楽師として史上初めて文化勲章を受章した。また、父と同じく日本芸術院会員に選任されていた。
来歴
狛氏の一族で代々続く雅楽師の家柄。祖父・芝祐夏の代から宮内庁楽部で楽師を務める[1]。自身も10歳から横笛や琵琶などを習う[1]。雅楽に仕える一方で、オーケストラ作品も作曲している[2]。宮中晩餐会において、天皇と国賓が豊明殿に入場する際に演奏される曲「親愛」は、同氏が作曲したものである[3]。
略歴
- 1935年(昭和10年) - 東京府にて誕生。
- 1951年(昭和26年) - 薗広進、上近正、薗広茂に師事。
- 1955年(昭和30年) - 宮内庁楽部楽生科卒。
- 1958年(昭和33年) - 宮内庁楽部楽師。
- 1960年(昭和35年) - 楽部の有志とともに紫絃会を結成[1]。
- 1978年(昭和53年) - 東京芸術大学非常勤講師。
- 1984年(昭和59年) - 宮内庁楽部退職。
- 1985年(昭和60年) - 雅楽団体「伶楽舎」を結成して音楽監督[1]。
- 1988年(昭和63年) - 国立音楽大学客員教授(2001年まで)。
- 1989年(平成元年) - フィンランド・クフモ音楽祭、イタリア・ペルージア音楽祭などで雅楽を紹介演奏。
- 1997年(平成9年) - 雅楽廃絶曲17曲を編纂、『遠楽の復曲』(訳譜・編曲、龍鳴舎)を出版[5]
- 1998年(平成10年) - 冬季長野オリンピック開会式で「君が代」演奏。
- 2000年(平成12年) - 東京芸術大学退職。
- 2003年(平成15年) - 日本芸術院会員。
- 2019年(令和元年) - 東京都にて死去。
賞歴

栄典
著書
ディスコグラフィー
- 『復元正倉院楽器のための 敦煌琵琶譜による音楽』伶楽舎 2011年。
- 『古典雅楽様式による雅楽組曲「呼韓邪單于」 -王昭君悲話-』伶楽舎 2011年。
- 『幻遥 オーケストラ作品集』日本伝統文化振興財団 2016年。 芝祐靖作曲、十束尚宏指揮、オーケストラ・アンサンブル金沢
脚注
外部リンク
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