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若林義孝
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若林 義孝(わかばやし よしたか、1900年(明治33年)5月30日[1] - 1981年(昭和56年)5月17日[2])は、昭和時代の政治家。衆議院議員(2期)。福井県敦賀市長、大阪府箕面市長。
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経歴・人物
三重県上野市にて生まれる[2]。1927年(昭和2年)京都帝国大学法学部を卒業し、同大学生監事務嘱託を経て、国民同志会に入る[3]。同会では理事に進み、長らく国民の政治教育に傾倒した[3]。のち、学士会倶楽部大阪支部書記長を経て、1938年(昭和13年)12月12日に前福井県敦賀市長の森本一雄が逝去すると、同職の後任となった[3]。
ついで、日本人造皮革工業連合会長、黒住教顧問などを歴任[2]。1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙岡山全県区に自由党から出馬して当選し、第24回総選挙でも当選して計2期在任した[2]。さらに、1956年(昭和31年)から1965年(昭和40年)まで大阪府箕面市長を務めた[2]。
脚注
参考文献
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