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茂木忠之
群馬県出身のプロ野球選手 ウィキペディアから
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茂木 忠之(もてぎ ただゆき、1938年11月17日 - 2002年4月16日)は、群馬県出身のプロ野球選手(投手)。
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来歴
群馬県立伊勢崎高等学校から1957年に国鉄スワローズに入団した。同期入団に村田元一、高屋俊夫がいる。2年目の1958年に一軍デビューし、182センチの長身で左投げということから「金田二世」と期待されたが1960年までの3年間で15試合に登板したものの勝ち星を挙げることはできなかった。監督が砂押邦信になった1961年からの2年間は偵察要員として4試合に出場しただけで登板することはなかったが、1963年に監督に就任した浜崎真二が「金田正一、渋谷誠司に次ぐ左腕投手を育てたい」ということで再び登板の機会を得た。しかし先発2試合を含む10試合に登板したものの結局勝ち星は挙げられず、さらに林義一に監督が交代した翌1964年も8試合に登板したが未勝利に終わり、結局一軍では1勝もできずこの年限りで引退した。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 35 (1957年 - 1964年)
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関連項目
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