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茨城県立大子清流高等学校

茨城県大子町にある高等学校 ウィキペディアから

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茨城県立大子清流高等学校(いばらきけんりつだいごせいりゅうこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町大子に位置する県立高等学校。大子第一高等学校と大子第二高等学校が統合して設立された。校名の「清流」は大子町の象徴的存在である久慈川と「清廉な人物、貴い恵み」という学校の教育目標を表す[1]

概要 茨城県立大子清流高等学校, 国公私立の別 ...
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茨城県立大子清流高等学校
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設置学科・系列

  • 総合学科 - 2025年(令和7年)度より、日本全国から生徒の募集を行っている。
    • 人文科学系列(文科系大学への進学や就職)
    • 自然科学系列(理系大学への進学や就職)
    • 福祉系列(福祉系大学や専門学校への進学や福祉関連の就職)
  • 農林科学科 - 2008年(平成20年)度より、日本全国から生徒の募集を行っている[2]
    • 農業科学コース(作物の栽培についての学習)
    • 森林科学コース(環境保全や森林資源についての学習)

統合前の学科

茨城県立大子第一高等学校
  • 普通科
  • 農業科
  • 林業科
  • 生活科
茨城県立大子第二高等学校
  • 普通科
  • 家庭科

沿革

統合した学校

要約
視点

大子清流高等学校は、以下の2校を統合して発足した。

大子第一高等学校

茨城県立大子第一高等学校(いばらきけんりつだいごだいいちこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町にあった、公立の高等学校。校訓は「至誠・勤労・協和」[4]1981年(昭和56年)時点では普通科・農業科・林業科・生活科を置き、生徒数は826人であった[4]

校地(茨城県久慈郡大子町大子224)は大子清流高等学校に引き継がれた[2]

一高の沿革

  • 1907年(明治40年)
    • 11月29日 - 大子町外七ヶ村学校組合立大子農学校として発足[5]
    • 12月7日 - 開校式・入学式を挙行。3年制の乙種農学校で、初年度の入学者は63人だった。
  • 1919年(大正8年)4月1日 - 西後谷津に校舎を新築、移転。
  • 1920年(大正8年)3月 - 郡立に移管し、久慈郡農学校に改称。久慈郡議会の採決で、賛成18、反対17の僅差で郡立移管が決まった。
  • 1923年(大正12年)
    • 2月20日 - 校舎増築上棟式を挙行。
    • 4月1日 - 県立に移管し、茨城県立大子農学校となる。
  • 1929年(昭和4年)4月1日 - 甲種農学校に昇格[6]
  • 1941年(昭和16年) - 林業科設置。
  • 1942年(昭和17年)
    • 3月 - 校舎増築落成。
    • 4月1日 - 茨城県立大子農林学校に改称。
  • 1943年(昭和18年)3月 - 新講堂完成。
  • 1945年(昭和20年)5月 - 武道場と2教室を日立製作所疎開工場として貸与。実際にはほとんど使用されずに終戦を迎えた[7]
  • 1948年(昭和23年)4月 - 茨城県立大子高等学校に改称。普通科を設置。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 茨城県立大子第一高等学校に改称。4年制定時制課程(普通科・農業科)を設置。
  • 1965年(昭和40年) - 鉄筋コンクリート造の新校舎完成。生活科を設置。
  • 1969年(昭和44年) - 芦野倉に農場を移転。
  • 1980年(昭和55年) - 新管理棟完成。
  • 2004年(平成16年) - 新入生の募集を停止。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校[8]

大子第二高等学校

茨城県立大子第二高等学校(いばらきけんりつだいごだいにこうとうがっこう)は、茨城県久慈郡大子町にあった、公立の高等学校。1981年(昭和56年)時点では普通科と家庭科を置く生徒数673人の高校だった[4]。校訓は「誠実・勤労・友愛」[4]

校地(茨城県久慈郡大子町北田気662)は改修工事が行われ、2009年(平成21年)8月より東京理科大学大子研修センターとなった[9]。のちに、1年間貸与期間を延長の上で2020年1月に敷地を町に返却[10]。敷地は大子町営研修センターと新・大子町庁舎に活用された。

二高の沿革

  • 1910年(明治43年)12月15日 - 私立大子女子技芸講習所として開校[7]。金町の野内せき宅2階を仮教場とし、初年度の生徒は10人だった[7]
  • 1912年(明治45年)
    • 1月 - 本町の益子勝雄宅に教場を移転。
    • 4月 - 大子町に移管、大子町立女子技芸補習学校に改称。大子尋常高等小学校に併設する。6月30日に開校式を挙行。
  • 1918年(大正7年)8月17日 - 大子町立女子技芸学校に改称。茨城県で11番目の独立した女子校となる。9月26日に開校式を挙行。
  • 1923年(大正12年)5月 - 法隆寺助教諭の転任に反発した生徒が同盟休校に入る。法隆寺助教諭は翌1924年(大正13年)12月に復帰。
  • 1927年(昭和2年) - 組合立に移管、茨城県大子町外六ヶ村組合立大子女子技芸学校に改称。
  • 1937年(昭和12年)12月24日 - 2階建の新校舎落成式を挙行。後山に移転。
  • 1938年(昭和13年)度 - 花嫁修業として1週間の合宿訓練を行う「家庭寮」を実施。1942年(昭和17年)度まで継続する。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 茨城県大子高等女学校に昇格。
  • 1945年(昭和20年) - 4年制に改組[11]
  • 1946年(昭和21年)
    • 9月 - 旧校舎を移転改築して平屋建にする。
    • 11月1日 - 大子町外九ヶ村組合立に移行。
    • 12月24日 - 翌年に県立移管することが決定し、喜んだ人々が太鼓を打ち鳴らして行進する。
  • 1947年(昭和22年)3月1日 - 茨城県に移管、茨城県立大子高等女学校に改称。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 茨城県立大子女子高等学校に改称。
  • 1949年(昭和24年)4月 - 茨城県立大子第二高等学校に改称。普通科と家庭科を設置。
  • 1952年(昭和27年) - 体育館竣工。
  • 1960年(昭和35年) - 校舎を新築。
  • 1977年(昭和52年)10月 - 1973年(昭和48年)から始まった校地造成と諸設備の建設が終わり北田気に移転、授業開始[12]
  • 2004年 - 新入生の募集を停止。
  • 2006年(平成18年)3月31日 - 閉校[8]
  • 2008年(平成20年)6月 - 大子町が東京理科大学に校地を無償貸与[9]
  • 2009年(平成21年)8月 - 東京理科大学大子研修センターが開設[9]
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交通

茨城県道160号梨野沢大子線沿い。

著名な出身者

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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