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荒埼 (給糧艦)

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荒埼 (給糧艦)
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荒埼(あらさき)[20]は、日本海軍運送艦(給糧艦)[4]杵埼型給糧艦の1隻[5]。 艦名は岬の名で、鶴岡市北西の加茂港附近、三浦半島南西岸、平戸諸島生月島の南端、宮崎県志布志湾の東口(都井岬の西)など各地にその名前がある[21]

概要 荒埼, 基本情報 ...
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艦歴

昭和16年(1941年)度(後にマル臨計画と呼称[8])に雑役船として計画された[4]1942年(昭和17年)11月10日に大阪鉄工所桜島工場で起工[4]1943年(昭和18年)2月5日荒埼(アラサキ)と命名され[20]、 同日特務艦類別等級で運送艦、杵埼型に加えられた[5]。 2月27日進水、5月29日竣工し[4]、 同日在役特務艦に定められ[7]連合艦隊付属に編入された[22]

太平洋戦争では主に糧食補給と輸送任務に従事した[4]。 7月18日佐伯を出港し、ラバウル方面の糧食補給任務に従事した[22]。 9月19日「りおん丸」を護衛し、スラバヤへ回航[22]。 11月2日ラバウル入港、敵機の攻撃で損傷した[22]。 11月19日スラバヤ入港、入渠し修理を行った[22]。 12月14日スラバヤ出港、ラバウルの糧食補給任務で2往復した[22]

1944年(昭和19年)2月23日スラバヤを出港し、パラオダバオ方面の糧食補給任務に従事した[22]。 4月24日スラバヤ出港、リンガタウイタウイ方面で機動部隊への糧食補給を行った[22]。 8月27日シンガポールに入港し、修理を行った[22]。 9月10日シンガポール出港、以後サイゴン、リンガ、ブルネイ方面の補給任務に従事[22]

1945年(昭和20年)2月1日スラバヤ西方で触雷し航行不能になった[22]。 スラバヤで修理を行い、以後バリ島への補給を2回実施[22]、 終戦時はスラバヤに所在した[4]

1945年(昭和20年)10月5日除籍[4]1946年(昭和21年)2月20日に特別輸送艦に指定され[23]、 復員輸送に従事、その後特別保管艦に指定された[4]。 連合国への艦艇引渡の際は同行して回航員の帰国に使用された。 第2回引渡の時は1947年(昭和22年)7月26日佐世保を出港、8月14日にシンガポールで艦艇引渡が行われると回航員を収容し佐世保に帰港した[24]。 第3回引渡の時は8月25日7時30分荒埼は引渡艦艇と共に佐世保を出港[25]、28日ナホトカに到着し、同日随伴の艦艇の引き渡しが行われた[26]。 その後荒埼は一旦米国に引き渡され、同年10月1日に指定解除され日本に返還された[4]

概要 海鷹丸, 基本情報 ...

1948年(昭和23年)4月に農林水産省へ移管し、水産講習所(後の東京水産大学)練習船、海鷹丸(うみたかまる)となった[4]1955年(昭和30年)8月解役し大蔵省へ返還[4]1956年(昭和31年)幸和商会へ売却、同年8月に関西汽船に転売され佐野安船渠で改造され、高知丸と改名した[4]1963年(昭和38年)に再度改造されなにわ丸(なにわまる)と改名、日韓航路に就航した[4]1967年(昭和42年)4月にフィリピン・ロドリゲス商会へ売却された[4]

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脚注

参考文献

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