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荒川定安
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荒川 定安(あらかわ さだやす)は、江戸時代初期の旗本。吉良氏の一族で、荒川家を興した。
生涯
元和5年(1619年)2月、はじめて将軍徳川秀忠に御目見した。元和9年(1623年)1月に書院番士となり、12月に三河において500石を賜った。寛永3年(1626年)に秀忠が上洛した際にはその行列に従軍した。寛永10年(1633年)2月7日に武蔵において200石加増。寛永13年(1636年)9月27日には書院番組頭となり、12月29日には布衣の着用が許された(六位相当になったことを意味する)。
慶安3年(1650年)11月19日に書院番頭に就任し、慶安4年(1651年)8月16日には従五位下山城守に叙任した。11月21日には1000石を加増されて都合1700石を知行した。
明暦2年(1656年)5月26日に死去した。享年58。吉良家菩提寺でもある江戸市谷の万昌院に葬られた。万昌院は荒川家代々の葬地となった。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第九十三
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