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菅原在良
平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。従四位上・式部大輔。唐橋家初代。菅原氏長者。贈従三位。子に菅原信永、菅原為恒、俊源(興福寺、律師、安楽寺別当)、俊永(延暦寺、法 ウィキペディアから
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菅原 在良(すがわら の ありよし)は、平安時代中期から後期にかけての貴族、歌人。和泉守大学頭・菅原定義の子。菅原孝標女は叔母[1]。官位は従四位上・式部大輔。菅原氏長者。贈従三位。
経歴
寛治元年(1087年)に式部少輔・大内記を兼任[2]。嘉保3年(1096年)に文章博士[3]。天永2年(1111年)式部大輔を務める。同年12月に昇殿を聴され、さらに侍読に任ぜられ鳥羽天皇に仕える。保安2年(1121年)もしくは保安3年(1122年)卒去。享年80(または81)。その他御書殿別当、摂津守を歴任した。ちなみに在良の勘申により、永久、藤原俊信との勘申で長治の元号が採用された。
歌人として
承保3年(1076年)に、『前右衞門佐經仲歌合』に参加。藤原忠通の奨めで和歌を詠んだといわれ、勅撰和歌集には『新勅撰和歌集』以下5首が入首。家集には『在良朝臣集』がある。
系譜
脚注
参考文献
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