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藤原俊信

平安時代後期の貴族・学者。藤原正家の次男。正五位下・右少弁、冊、五蔵、策、右衛門権佐、文章博士、左少弁、東宮学士。子に正慶、信意(延暦寺、阿闍梨) ウィキペディアから

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藤原 俊信(ふじわら の としのぶ)は、平安時代後期の貴族学者藤原北家真夏流(日野家)、式部大輔藤原正家の次男。官位正五位下右少弁

概要 凡例藤原俊信, 時代 ...

経歴

白河朝永保年間に蔵人を務めると、因幡権守を経て、堀河朝寛治5年(1091年)献策の功労により従五位上に叙せられる。その後、大内記を経て永長2年(1097年正五位下に昇叙される。翌承徳2年(1098年右衛門権佐に任ぜられ、康和元年(1099年)右少弁を兼ねるが、同年に俊信の従者が罪人を仲間に奪われるという事件が発生している[1]。康和2年(1100年) には更に文章博士も兼ねている。

康和5年(1103年)には宗仁親王(のち鳥羽天皇)の立太子を受けて東宮学士をも兼ねる[2]。翌年の改元に際しては菅原在良と共に紀伝勘文を提出し、その勘案に基づいて「長治」の元号が採用された[3]

長治2年(1105年)2月1日に父に先立って病没した。享年51。最終官位は右少弁右衛門権佐東宮学士文章博士。

藤原師実師通父子から作文会の講師を命ぜられ、藤原忠実藤氏長者になって最初の法成寺参詣に随行するなど家司ではなかったものの、摂関家からの信任が厚かった。

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官歴

系譜

脚注

参考文献

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