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藤井郁弥 キュートしようよ
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藤井郁弥 キュートしようよ(ふじいふみや キュートしようよ)は、1987年10月10日から1989年4月8日までニッポン放送で放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティは藤井郁弥(現・藤井フミヤ、当時チェッカーズ)。
概要
同じニッポン放送の日曜日午前で1985年10月6日から1987年10月4日まで放送されていた『藤井郁弥のハートはジュークボックス』(日曜日午前8:30 - 9:00)が、同時間帯で『スーパー電リクサンデーヒットパラダイス』がスタートしたことにより終了し、藤井の番組が時間移動してリニューアルする形で本番組がスタートした。前番組『吉川晃司 サングラスをはずして』に続いて、CBSソニー出版(のちのソニー・マガジンズ、現・エムオン・エンタテインメント)の一社提供[1]。当時のCBSソニー出版の雑誌『PATi PATi』内のページ「パチ・パチ・ランド」にて、本番組の詳しい情報が掲載されていた。本番組のコーナー・企画のうち『生歌コーナー』は前身番組『ハートはジュークボックス』から継続された[2]。
交流のある有名人との話などのプライベート話[3]、季節の話や世間の流行などを話題としてトークが展開された[4]。
1989年4月改編で『藤井郁弥のオールナイトニッポン』がスタートし、これと入れ替わる形で本番組は終了した。
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主なコーナー・企画
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ゲスト
- 宇都宮隆 (TM NETWORK、1987年11月21日)
- 前田亘輝 (TUBE、1987年12月12日)
- 小林麻美 (1988年1月30日)
- 中山美穂 (1988年2月27日・1988年6月18日)
- 薬師丸ひろ子 (1988年4月9日・1989年2月11日・2月18日)
- 舘ひろし (1988年4月30日)
- 工藤静香 (1988年5月28日)
- NOKKO (レベッカ、1988年7月30日)- 『ドクトル郁弥とナースNOKKOの真夏の夜の性教育』のスペシャル企画を放送[11]。
- カールスモーキー石井 (米米CLUB、1988年9月24日)[7]
- 田中裕子 (1988年10月1日)
- 今井美樹 (1988年10月15日・10月22日)[12]
- 石原真理子 (1988年10月29日・11月5日)
- 中森明菜 (1988年11月12日・11月19日)[13]
- 松任谷由実 (1988年11月26日)[13]
- 浅香唯 (1988年12月3日・12月10日)[13]
- 藤井尚之 (チェッカーズ、1988年12月17日)
- 伊丹十三 (1989年1月14日)
- 斉藤由貴 (1989年1月21日・1月28日)
- 鶴久政治 (チェッカーズ、1989年2月4日)
- 野沢直子 (1989年3月4日)
- 梶原真理子 (1989年3月11日)
- 川村かおり (1989年3月18日)
放送されていた局
(▲ - 途中でネット打ち切り、◎ - ネット再開、※ - 途中からネット開始。
特に注記の無いものは、1987年10月 - 1989年4月時間変更無く通して放送)
- ニッポン放送(制作局):土曜日 22:00 - 22:30
- STVラジオ:日曜日 23:30 - 24:00
- 青森放送:土曜日 21:30 - 22:00 (1987年10月 - 1988年3月▲)
- 信越放送:日曜日 24:00 - 24:30
- 北陸放送:日曜日 21:00 - 21:30 (※1988年10月 - 1989年4月)
- 福井放送:日曜日 22:30 - 23:00 (1987年10月 - 1988年9月)→ 土曜日 21:00 - 21:30 (1988年10月 - 1989年4月)
- 中国放送:土曜日 21:00 - 21:30 (1987年10月 - 1988年3月▲)→ 土曜日 22:00 - 22:30 (◎1988年10月 - 1989年4月)
- 高知放送:土曜日 21:00 - 21:30 (1987年10月 - 1988年3月▲)
- KBCラジオ:土曜日 23:00 - 23:30 (1987年10月 - 1988年3月)→ 土曜日 16:30 - 17:00 (1988年4月 - 1988年9月)→ 土曜日 20:30 - 21:00 (1988年10月 - 1989年4月)
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脚注
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