トップQs
タイムライン
チャット
視点
藤原常永
ウィキペディアから
Remove ads
藤原 常永(ふじわら の つねなが/とこなが)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原北家、中納言・藤原葛野麻呂の子。官位は正五位下・但馬守。
経歴
その後20年近く動静が不明だが、仁明朝後半に勘解由次官・美濃守等を歴任し、仁明朝末の嘉祥2年(849年)に24年振りに昇叙され、従五位上となる。
文徳朝では、斉衡2年(855年)治部大輔、天安元年(857年)刑部大輔と京官を歴任する。文徳朝末の天安2年(858年)尾張権守に任ぜられると、貞観5年(863年)但馬守と清和朝では地方官を務めた。貞観6年(864年)正五位下に至る。貞観9年(867年)卒去。
官歴
『六国史』に基づく。
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
出典
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads