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蛇田

石巻市の町・字 ウィキペディアから

蛇田map
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蛇田(へびた)は、宮城県石巻市にある大字および地区名(後述)。旧牡鹿郡蛇田村の一部に相当する[6]。郵便番号は986-0861[2]住民基本台帳に基づく人口は9,619人、世帯数は4,670世帯(2025年4月30日現在)[1]

概要 蛇田, 国 ...
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地理

要約
視点

蛇田は石巻市の西部に位置し、蛇田駅前に家屋が密集している。また、多くの町丁および大字に囲まれており、北で鹿又、旧北上川を境にして東で南境、北上運河を境にして南東で境谷地や新橋、南で門脇、西で須江と接し、囲うように蛇田地区を構成するその他の町丁[注 1]と接する。

小字

仙台法務局石巻支局の「石巻市登記所備付地図データ」(2024年10月5日時点)、デジタル庁公表のアドレス・ベース・レジストリの「宮城県町字マスターデータセット」(2024年8月13日時点)、東北運輸局公表の「東北運輸局宮城運輸支局住所コード表」(2024年11月1日時点)によれば、蛇田の小字は以下の通りである[7][4][5]

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歴史

要約
視点

蛇田の名の資料上の初見は1631年(寛永8年)の伊達政宗領地黒印状にある「小鹿之内へびた」である[8]

寛政4年(1792年)成立の伊達世臣家譜の中に、「元和8年実信嘗受新田于牡鹿郡蛇田邑、開三百九十九石一升之由」と記されており、江戸期、蛇田が地名として成立していたことが明らかになっている[9]

1646年(正保3年)には、伊具郡小斎邑主佐藤家の次男、佐藤定信が宍戸、森、高瀬、斎藤、星、伏見、氏家、大田、遠藤、木村、小川、高橋などといった侍40人と足軽33人、73家中総勢150人を連れて、蛇田の野谷地へと移住した[9]。江戸期には蛇田は蛇田本郷と称された蛇田町(旭町)や山下地区を中心に栄え、とくに蛇田町(旭町)は石巻村内の石巻町・住吉町とともに石巻宿を構成していた[10]

明治期になると、蛇田村は石巻村・門脇村・湊村と石巻村外三ケ村連合村を形成したが、これら4ケ村はそれぞれ民情風情が大いに異なっており、各村は一村となることを消極的であった[10][11]。結局、牡鹿郡長竹内の裁定により、蛇田村は独立を保つことができた[12][13]

蛇田村および大字蛇田は町村制以降、多くの境界変更・住居表示実施を経てその区域は元来の蛇田の区域よりかなり小さくなった[12]。明治初期、石巻村と蛇田村の境界は旭町周辺から久円寺堀を西進し石巻駅を南方へ、赤土山下の北麓を西走して山下明神山に達する線であったが、1874年(明治7年)の蛇田町の石巻村編入により土田淵(水押堤防付近)から南西方の明神山鳥屋神社付近に至る一線を画した蛇田村東部一帯が石巻村に編入された[12]1949年(昭和24年)には山下地区が石巻市に編入され、北上運河以東が石巻市所属となった[14]

沿革

  • 367年仁徳天皇55年) - 上毛野田道将軍が戦死[8]
  • 1633年(寛永10年) - 蛇田村山下に桂林山禅昌寺が開山[8]
  • 1646年(正保3年) - 伊具郡小斎邑主佐藤氏から分かれた佐藤定信が蛇田の野谷地を拝領し、新田開発をはじめる[9]
  • 1663年寛文3年) - 蛇田村の愛宕山東雲寺が現在地に移転[8]
  • 1666年(寛文6年) - 蛇田村蛇田町が開町[8]
  • 1753年(宝暦3年) - 蛇田町から出火し、307軒が焼ける[8]
  • 1874年(明治7年) - 蛇田村のうち蛇田町、蛇田頭、蛇田浦内、蛇田浦外が石巻村に編入[注 4][10][11][9]
  • 1889年(明治22年) - 町村制が施行され、蛇田村が成立。
  • 1928年(昭和3年) - 宮城電気鉄道が小野〜石巻間開通[8]
  • 1933年(昭和8年) - 蛇田村の一部が石巻市に編入[6]
  • 1949年(昭和24年) - 蛇田村の明神山、山下、山下西、鍋倉、鍋倉前、南谷地、七窪、横堤、横堤前、揚慮原、揚慮原西、深淵、境谷地、清水尻、清水尻西、西中里、東中里、面剣田、水押の各全部が石巻市へ編入[8][14]
  • 1953年(昭和28年) - 鹿又村と境界変改が行われる[6]
  • 1955年(昭和30年) - 蛇田村が石巻市に編入され、石巻市蛇田となる。
  • 1972年(昭和47年) - 向陽町一〜五丁目が分立[6]
  • 1973年(昭和48年) - 蛇田ニュータウンが完成[8]
  • 1998年平成10年) - 石巻河南インターチェンジ開通[8]
  • 2006年(平成18年) - 石巻赤十字病院が湊から蛇田地区に新築移転[8]
  • 2013年(平成25年)5月11日 - 蛇田西部土地区画整理事業に伴い、蛇田字福村南・蛇田字菰継・蛇田字五軒屋敷・蛇田字五軒屋敷前・蛇田字新金沼の各一部を分離し、茜平が設置される[15]
  • 2014年平成26年)2月22日 - 蛇田北部土地区画整理事業に伴い、蛇田字東道下・蛇田字西道下の各一部を分離し、わかばが設置される[16]
  • 2014年平成26年)5月10日 - 蛇田中央土地区画整理事業に伴い、蛇田字芋殻町・蛇田字新金沼・蛇田字新大埣蛇田字太田切・蛇田字大埣・蛇田字福村南の各一部を分離し、恵み野が設置される[17]
  • 2017年(平成29年)5月21日 - あけぼの北地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字西道下の一部を分離し、あけぼの北が設置される[18]
  • 2017年(平成29年)11月3日 - 新蛇田地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字新立野・蛇田字新沼田の各一部を分離し、のぞみ野が設置される[19]
  • 2018年(平成30年)8月25日 - 新蛇田南・新蛇田南第二地区被災市街地復興土地区画整理事業に伴い、蛇田字上前沼、蛇田字新西前沼、蛇田字新沼田、蛇田字西沼田、蛇田字細田と門脇字青葉西の各一部を分離し、あゆみ野が設置される[20]
  • 2020年令和2年) - 石巻市蛇田支所・公民館が新築移転で供用開始[8]

名称の由来

名称の由来は諸説ある。中でも有力とされるものを下に挙げる。

蛇田道公説

日本書紀仁徳天皇五十五年条にある

是後、蝦夷亦襲之、略人民、因以掘田道墓、則有大蛇発瞋目白墓出、以咋、蝦夷悉被虵毒而多死亡、唯一二人得免耳。

という、田道が大蛇となって蝦夷を破った伝説を信じた村人が、蛇田道公と田道を尊称し、祠を建て祀ったことを由来とする説[21]

現に蛇田には、田道が戦死したとされる面剣田という小字が存在し[21]1801年(享和元年)に山下町の禅昌寺で「霊蛇田道古墳」(高さ95センチ・幅34センチ)と記された石碑が発見されている[9]

蛇多説

1773年(安永2年)三月成立の蛇田村風土記御用書出の冒頭に、「一村名ニ付由来」として次の伝承が記されている[21]

住吉当村ニ住居仕候御百姓ノ家江年々燕巣籠候處、瓜実壱ツ觜ニ含み飛来落候を、家主不審ニ存植置候得ハ、生長仕殊之外大キ瓜ニ罷成熟候ニ付、右瓜切割候得ハ、其中ゟ蛇不知数相出候ニ付、御村之者共寄合、右蛇当村未申之方江相埋メ塚ニ築、其所を蛇塚と名付候、右縁を以蛇多と村名ニ唱候所、追年蛇田と書替候由申伝ニ御座候

このように蛇田村風土記御用書出には、がくわえてきた瓜の実を植えたところ、大きな実がなり、その中から数多のヘビが出てきたため、蛇多村と命名し、後年に蛇田と改称したと記されている[21]。なお、伝承にある蛇塚とは、蛇田村風土記御用書出によると

南谷地一蛇塚高サ壱丈廻リ四捨五間[注 5]、右ニ付委細之儀ハ村名之部江御書上仕候事

とある[22]

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施設

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石巻赤十字病院

交通

鉄道

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JR蛇田駅の外観。

道路

小・中学校の学区

学区は以下の通りである[26][27]

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行政区

石巻市は世帯数及び人口の調査、世帯台帳の整備、市行政の周知、連絡、通知のための公文書の配布伝達を円滑に行うために、行政区を定めている[28]。石巻市の例規「石巻市行政委員規則」(2024年2月1日施行)によれば、蛇田と対応する行政区は以下の通りである[28]

さらに見る 行政区, 町・字(特記なければ各一部) ...
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東日本大震災

2011年に起きた東日本大震災では34名の住民が犠牲となった[29]

また、近隣に位置する門脇の地震計は震度6弱を記録した[29]

2012年11月30日時点の蛇田における世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである[30]

さらに見る 世代と性別, 死者 ...

蛇田地区

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石巻市役所蛇田支所

蛇田地区(へびたちく)もしくは蛇田地域(へびたちいき)は石巻市本庁地区内の地区の名前である。のぞみ野など開発が特に進んでいる地区は特に新蛇田地区といわれる[31]

概要

近年、大字蛇田を含む蛇田地区は開発が進んでおり、国勢調査によると2020年は2015年と比べて人口は12.58%、世帯数は16.53%増加しており、石巻市で最も人口が増加している地域であると言える[32]。また、2018年(平成30年)3月には東中里一丁目にあった宮城県石巻合同庁舎が蛇田字新沼田(現在のあゆみ野五丁目7番地)に移転し、宮城県東部地方振興事務所や宮城県東部土木事務所もといった県の出先機関が当地区に移転するなど、行政機能の移転が実施されている[33][34]

ちなみに、蛇田地域は蛇田の名を冠するが、石巻市役所蛇田支所は大字蛇田ではなく、恵み野二丁目にある[35]

範囲

蛇田、向陽町、新境町、丸井戸、あけぼの、茜平わかば恵み野あけぼの北のぞみ野あゆみ野を範囲とする。

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参考文献

石巻市史

その他

  • 平凡社地方資料センター 『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻) 平凡社、1987年。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302
  • 小野寺豊、邊見清二 著、石巻アーカイブ 編『写真と地図で見る歴史『蛇田事典』(おらほの町の郷土史づくりプロジェクト報告書)』石巻アーカイブ、2020年3月https://ishinomaki-archives.com/kyodo/hebita01/2024年11月10日閲覧

脚注

関連項目

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