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西堀通

新潟市中央区の町 ウィキペディアから

西堀通
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西堀通(にしぼりどおり)は、新潟市中央区市道、またはその沿道の町名。現行行政地名は西堀通1番町から西堀通11番町。住居表示未実施区域[4]郵便番号は951-8061[2]

概要 西堀通, 国 ...

概要

1872年(明治5年)から現在までの町名で、新潟町の町域改編に伴い寺町通から改称[5]。通りの名は、かつてこの通りにあった西堀(寺町堀)に沿うことに由来する[5]

地理

信濃川河口付近左岸古町通の西側を並行するように南北へ走る片側2車線の道路である。通りは上手の白山神社側を起点に1番町から11番町まである。沿道の町名は西側が西堀通、東側が西堀前通となる。これはかつて堀の両端の道がこう呼ばれていた名残である。通りに直交する道路は小路(こうじ)と呼ばれる。交差する小路については、外部リンクの通りと小路の一覧、もしくは古町 (新潟市)#交差する小路の項を参照。

6番町から7番町にかけては、古くから古町通とともに栄えた歓楽街である。商業施設が数多く立地し、かつては西堀ローサと呼ばれる地下街が広がっていた。沿道に立つ主な施設については、古町 (新潟市)#主な施設を参照。

歴史

名の由来にもなった寺町堀(寺町川とも)は、承応3年(1654年)に新潟町がこの地に移転した際、東の片原堀(現在の東堀通)とともに整備された[6]。この堀は信濃川に沿うようにやや曲がりながら進むため、自然の川を活かして整備されたという説もある[7]。堀からは信濃川へ注ぐ水路が5本(白山堀、新津屋小路堀、新堀、広小路堀、御菜堀)掘られていた[8]。通りの西側は寺町として整備され、堀に面した通りは寺町通と呼ばれていた[9]

江戸時代には寺町通の中間点(現在の西堀交差点付近)に新潟町奉行所が、明治以降は1989年の移転まで新潟市役所が置かれた[10]。堀の東側(現在の西堀前通)は江戸時代中期まで店を構える者はほとんどいなかったが、江戸時代後期になると遊女が行き交う歓楽街となった[9]。明治5年(1872年)10月に寺町堀は西堀と改められ、埋め立てられた後に西堀通と名付けられた。西堀通は長らく東堀通に対抗する4車線の一方通行道路であったが、2008年7月24日に片側2車線の対面通行となった[11]

年表

  • 1872年(明治5年) : 新潟町の町域改編に伴い寺町通の一部から「西堀通」に改称する。
  • 1879年(明治12年)4月9日 : 新潟町の区制移行により、新潟区の町丁となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 : 新潟区の市制施行により新潟市の町丁となる。
  • 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、中央区の町丁となる。
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世帯数と人口

2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

さらに見る 町丁, 世帯数 ...

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]

さらに見る 町丁, 番地 ...

地域

西堀通は1番町から11番町まであるが、一番堀通町に隣接して1番町がはじまる古町通などとは異なり、西堀前通2番町付近から1番町がはじまる。1879年(明治12年)以前には1番町から12番町まで設置されたが、1887年(明治20年)に1番町が削除されて以下が繰り上げられ、1番町から11番町に改められた[5]

1番町から4番町

主な施設・商店

5番町から6番町

柾谷小路を中心に商業施設、都市銀行の支店がある。かつてはラフォーレ原宿・新潟や(小林百貨店→)新潟三越もあった。

主な施設・商店

7番町から8番町

主な施設・商店

9番町から11番町

主な施設・商店
  • 真宗寺
  • 伝教寺
  • 宝亀院
  • 蒲原浄光寺
  • 林松寺
  • 泉性寺
  • 住生院
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交通

  • 新潟交通[14]
    • 「古町」バス停:萬代橋ラインほか
    • 「西堀通二番町」バス停:C5 西堀通線
    • 「西堀通四番町」バス停:C5 西堀通線、C6 八千代橋線
    • 「西堀通八番町」バス停:C5 西堀通線、C6 八千代橋線、みなと みなと循環線
    • 「西堀通十番町」バス停:C5 西堀通線、C6 八千代橋線、みなと みなと循環線

脚注

参考文献

外部リンク

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