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讃良郡
日本の大阪府(河内国)にあった郡 ウィキペディアから
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讃良郡(ささらぐん[1])は、かつて河内国・堺県・大阪府にあった郡。

郡域
歴史
要約
視点
古代
和名類聚抄には「佐良良」という訓が記載されており、古くは「さらら」と読んだ。持統天皇の諱「鸕野讚良」の「讃良」は讃良郡に由来するものであり、「うののさらら」と読まれる。「さらら郡」には更占郡などの表記もある。のちに「さら郡」という読みが現れ、近世以降はもっぱら「ささら郡」と読まれる。
式内社
近世以降の沿革

- 慶応4年
- 明治2年
- 明治4年
- 明治7年(1874年)1月22日 - 大区小区制の堺県での施行により、河内国第2大区・河内国第3大区となる。
- 明治13年(1880年)4月15日 - 郡区町村編制法の堺県での施行により、行政区画としての讃良郡が発足。茨田郡三矢村の浄念寺に「枚方郡役所」が設置され、同郡および交野郡とともに管轄。枚方郡役所はまもなく改称して「茨田交野讃良郡役所」となる。
- 明治14年(1881年)2月7日 - 大阪府の管轄となる。
- 明治15年(1882年) - 中野村上郷が清滝村、中野村逢坂郷が逢坂村にそれぞれ改称。
- 明治19年(1886年)(32村)
- 尼ヶ崎新々田が尼ヶ崎新田に合併。
- 御領村・太子田村の所属郡が茨田郡に変更。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記以外は現・枚方市。(6村)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、「茨田交野讃良郡役所」が管轄する各郡の区域をもって北河内郡が発足。同日讃良郡廃止。
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行政
- 枚方郡長→堺県茨田・交野・讃良郡長[4]
- 大阪府茨田・交野・讃良郡長[4]
脚注
参考文献
関連項目
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