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赤松町 (安城市)
愛知県安城市の地名 ウィキペディアから
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地理
安城市中央部に位置する[1]。西は福釜町、南は和泉町・石井町、北東は安城町、南東は堀内町・桜井町に接する[1]。
字一覧
小字として以下のものがある[WEB 5]。
- 大北(おおきた)
- 乙菊(おとぎく)
- 梶(かじ)
- 鐘山(かねやま)
- 北新屋敷(きたしんやしき)
- 北畑(きたはた)
- 恋塚(こいづか)
- 小山(こやま)
- 新屋敷(しんやしき)
- 浄善(じょうぜん)
- 隅田川(すみだがわ)
- 留山(とめやま)
- 西下(にししも)
- 西ノ山(にしのやま)
- 東恋塚(ひがしこいづか)
- 東下(ひがししも)
- 東向(ひがしむかい)
- 広久手(ひろくて)
- 堀切(ほりきり)
- 本郷(ほんごう)
- 前川(まえかわ)
- 的場(まとば)
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 6]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 7]。
河川
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歴史
町名の由来
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 8] | 706世帯 2607人 | |
2000年(平成12年)[WEB 9] | 724世帯 2597人 | |
2005年(平成17年)[WEB 10] | 828世帯 2746人 | |
2010年(平成22年)[WEB 11] | 927世帯 2920人 | |
2015年(平成27年)[WEB 12] | 977世帯 2939人 | |
2020年(令和2年)[WEB 2] | 1072世帯 3008人 |
沿革
- 戦国時代には、記録が残る[2]。
- 江戸時代 - 三河国碧海郡内旗本松平甚三郎知行の赤松村として所在[3]。
- 寛永15年 - 幕府領となる[3]。
- 慶安4年 - 旗本松平甚三郎知行に戻る[3]。
- 宝暦2年 - 幕府領[3]。
- 明和5年 - 大浜藩領[3]。
- 安永6年 - 大浜藩主が移封したことにより、駿河沼津藩領に転じる[3]。
- 明治2年 - さらに転封により、上総菊間藩領となる[3]。
- 1889年(明治22年) - 市制町村制による赤松村となる[3]。
- 1906年(明治39年) - 安城町大字赤松となる[3]。
- 1952年(昭和27年) - 安城市大字赤松となる[3]。
- 1956年(昭和31年) - 安城市赤松町となる[3]。
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交通
施設
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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