トップQs
タイムライン
チャット
視点
足立原健二
日本のサッカー選手 (1984-) ウィキペディアから
Remove ads
足立原 健二(あだちはら けんじ、1984年11月8日 - )は、神奈川県相模原市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
Remove ads
来歴
学生時代
2000年、千葉県の習志野高校に入学したが、翌年サッカー部監督の本田裕一郎が流通経済大学付属柏高校へ転任したため、同期の近藤祐介、船山祐二、深津康太、阿部嵩らと共に同校へ編入した[1]。他の同級生には大谷秀和(サッカー部ではなく柏レイソルユース所属)がいる。
高校卒業後は流通経済大学に進学。4年時の2006年には関東大学サッカーリーグ戦1部で創部以来初の優勝を達成したが、難波宏明、池田圭、西弘則など後のJリーガーを数多く擁したチームの中で目立った活躍は出来なかった[1][2]。
プロ入り後
大学卒業後は福島県内の一般企業に就職したが、サッカーを続ける道を模索し、知人のつてを辿って当時東北2部南リーグに所属していたビアンコーネ福島に加入。迎えた2007年シーズンのリーグ戦で14試合出場25得点という大活躍を見せ、チームの優勝・東北1部リーグ昇格に大きく貢献すると共に、リーグ得点王のタイトルを獲得した[1][2]。
同年末、アルビレックス新潟シンガポールとJAPANサッカーカレッジの合同トライアルに合格。2008年は北信越1部リーグのJAPANサッカーカレッジに所属したが、ブランクの影響もありレギュラーポジション獲得には至らなかった[1]。
2009年、Sリーグのアルビレックス新潟シンガポールに移籍すると、開幕から得点を量産。チームトップの16得点を挙げ、シーズン途中の同年10月、インドネシア・スーパーリーグのボンタンFCに移籍した。移籍後に行われたSリーグアウォーズではベストイレブンにも選出された[1]。
ボンタンFCでもエースストライカーとして活躍し、移籍後の2009-2010シーズンから2年連続で得点ランキング4位の15得点を記録[2]。2010-2011シーズン終了後、ペルシバ・バリクパパンに引き抜かれた[2]。
2011-2012シーズンもリーグ戦13得点を挙げ、2013年シーズンよりインドネシアのペルシブ・バンドンに移籍。2014年はペルシタ・タンゲランでプレーしたが、同シーズンオフにミャンマーのクラブに練習参加した際、左膝の前十字靭帯と半月板を損傷する大怪我を負い、前十字靭帯(ACL)再建手術を受けたことを自身のブログ上で報告した[3]。
Remove ads
所属クラブ
田名SC
FCコラソン
- 2000年
習志野市立習志野高等学校サッカー部
- 2001年 - 2002年
流通経済大学付属柏高等学校サッカー部
- 2003年 - 2006年
流通経済大学サッカー部
- 2007年
ビアンコーネ福島
- 2008年
JAPANサッカーカレッジ
- 2009年
アルビレックス新潟シンガポール
- 2009年 - 2011年
ボンタンFC
- 2011年 - 2012年
ペルシバ・バリクパパン
- 2012年 - 2013年
ペルシブ・バンドン
- 2014年
ペルシタ・タンゲラン
個人成績
タイトル
クラブ
- 関東大学サッカーリーグ戦1部 : 2006年
- 東北2部南リーグ : 2007年
個人
- 東北2部リーグ南 得点王 : 1回(2007年)
- Sリーグ ベストイレブン : 1回(2009年)
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads