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近藤用義

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近藤 用義(こんどう もちよし)は、江戸時代前期の旗本近藤秀用の四男。のちに秀用の遺領を分割して受け継ぐ「五近藤家」の一つ・井伊谷近藤家の家祖にあたる。

概要 凡例近藤用義, 時代 ...

生涯

慶長元年(1596年[注釈 1]近藤秀用の四男として生まれる[1]。母は秀用の正室(本多信俊の娘)で、近藤季用用可は同母兄である[注釈 3]

慶長年中(1596年 - 1615年)、徳川家康御目見[1]。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣には父とともに従軍[1]。翌慶長20年/元和元年(1615年)の夏の陣にも従軍し、首級2つを挙げた[1]。戦後は小姓組に属する[1]

寛永元年(1624年)、秀用が小田原城番に任じられると[1][注釈 4]、秀用からの要請によって小田原に赴き、その職務を補佐した[1]。寛永3年(1626年)、小田原で没する[1]。享年31[1]。同地の早雲寺に葬られた[1]

脚注

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