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酒井忠休
出羽松山藩主 ウィキペディアから
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酒井 忠休(さかい ただよし)は、出羽松山藩3代藩主。左衛門尉酒井家分家3代。宗家初代・酒井家次の五男・酒井了次の子孫で、庄内藩士・酒井直隆の子。母は本多氏。
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経歴
享保17年(1732年)7月に先代藩主の酒井忠予の実子である忠英が廃嫡され、同年8月29日に忠休は養嗣子となり、同年11月25日の忠予の隠居で跡を継いだ。藩政改革で借上制を行なったが、養子として入った忠予に対して家臣団が反発したために失敗し、幕府から3000両を借りて窮状を凌いでいる。宝暦10年(1760年)8月、若年寄に任じられ、安永8年(1779年)12月15日に上野国内で5000石を加増され、出羽松山藩は2万5000石となった。天明7年(1787年)4月18日、74歳で死去し、跡を次男の忠崇が継いだ。忠英の子の忠郷、忠起を養子としていたが、いずれも夭折している。
将棋の名人だったといわれている。
系譜
父母
側室
- 皆如院
- 前島氏
子女
- 水野忠体(長男)
- 酒井忠崇(次男)生母は前島氏(側室)
- 小堀政芳正室後に小堀政明正室
養子
略系図
酒井忠予2 | |||||||||||||||||||||||||||||||
忠英 | 忠寄(5) | 忠休3 | |||||||||||||||||||||||||||||
忠郷※a | 忠起※b | 忠崇4 | 忠郷※a | 忠起※b | |||||||||||||||||||||||||||
- 実線は実子、点線は養子を示す。
- すべての人物を掲載してはおらず、また兄弟・姉妹の順に配列してはいない。
- ※印は、同じ英字を付した人物が同一人物であることを示す。
- 太字の数字 2, 3…… は松山藩主代数を示す。
- 括弧つきの数字 (5), (6)…… は庄内藩主代数を示す。
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