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野口猛 (作詞家)

昭和時代日本の作詞家、歌人 ウィキペディアから

野口猛 (作詞家)
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野口 猛(のぐち たけし、1906年4月22日[1] - 1972年5月3日[2])は日本作詞家歌人初等中等教育教員。

概要 野口 猛のぐち たけし, 誕生 ...

経歴

1906年(明治39年)、長崎県佐世保市に生まれる。少年期に家族で大阪へ移り、西成郡玉出第二尋常小学校(現在の大阪市立岸里小学校)を卒業した後に独学で教員免許を取得した[1]

兵庫県教員採用試験に合格した後、川辺郡長尾尋常小学校(現在の宝塚市立長尾小学校代用教員を振り出しに同郡宝塚国民学校(現在の宝塚市立宝塚小学校)、有馬郡三田国民学校(現在の三田市立三田小学校訓導を務める[3]。幼少期から詩歌・絵画を趣味とし、特に短歌の分野では『多磨』への投稿を通じて北原白秋に師事していた。1942年昭和17年)、神戸新聞社が後援した相生市市歌募集で三等一席に入賞[3]

有馬郡生瀬国民学校(現在の西宮市立生瀬小学校)の教員であった1947年(昭和22年)、兵庫県が岸田幸雄知事の提唱で日本国憲法公布を記念して募集した「兵庫県民歌」で応募作が入選する[3][4]1954年(昭和29年)、尼崎市に新設された市立七松小学校校長となり同校の校歌を作詞した[5]。同年8月、この年に市制施行した川西市の市歌募集で入選する[6][7]

1964年(昭和39年)に川西市立多田小学校校長を定年退職した後、園田学園英語教諭となり同学園の生徒歌を作詞したのを始め、尼崎市教育委員会からの依頼を受けて市内の小学校の校歌を作詞した。

1972年(昭和47年)5月3日、急性骨髄性白血病のため伊丹市近畿中央病院で逝去。享年67(満66歳没)[4]。代表作の「兵庫県民歌」は制定主体であるはずの県から制定事実を含めて存在を否定されているため、遺族は名誉回復を訴えている[4]

2017年平成29年)、代表作「兵庫県民歌」の制定70周年を記念して業績を紹介するイベントが伊丹市立図書館で開催された[2]

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作品

自治体歌
校歌等

参考文献

  • 神港新聞社 編『兵庫県名士録 昭和34年版』(神港新聞社、1958年NDLJP:2996537
  • 園田学園中学校・園田学園高等学校 編『青春の感動 園田学園中学校高等学校創立50周年記念誌』(学校法人園田学園、1988年

出典

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