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野宮定功
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野宮定功(ののみや さだいさ、文化12年(1815年)7月26日 - 明治14年(1881年))は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。
安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、廷臣八十八卿列参事件に参加した。
官歴
系譜
- 父:野宮定祥
- 子:野宮定平
- 養子:野宮定美(久我建通の子)
- 養子:野宮定允(竹屋光有の次男)
- 養子:野宮定穀(竹屋光有の三男)
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
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