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野母得見
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野母 得見(のも とくみ、1930年12月13日 - 1989年12月17日)は、鹿児島県出身のプロ野球選手(投手)。
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来歴・人物
川辺高校から鹿児島市電(鹿児島市交通局)を経て、1954年に南海ホークスへ入団。主な同期入団選手に宅和本司、皆川睦男、野村克也、前川忠男などがいる。直球とゆるいカーブが武器。1年目に6勝を挙げ翌年も5勝する。1956年には初の2桁勝利となる14勝を挙げた。1957年と1958年にも8勝を挙げるが1959年はわずか1勝、翌年は1勝も出来ずにこの年限りで現役を引退した。
その後大阪有機化学工業に入社。松任工場に勤務していた1989年12月17日に汚水処理用タンクの配管の溶接の仕事をしていた時に爆発事故に巻き込まれ死亡した[1]。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
背番号
- 22 (1954年 - 1960年)
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参考文献
- 『日本プロ野球記録大百科2004』(ベースボール・マガジン社) 1957頁
- 『プロ野球人名事典』(森岡浩著、日外アソシエーツ) 433頁
脚注
関連項目
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