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1955年の野球

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1955年の野球(1955ねんのやきゅう)では、1955年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1955年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ92371 .713優勝
2位中日ドラゴンズ77521 .59715.0
3位大阪タイガース71572 .55520.5
4位広島カープ58702 .45333.5
5位国鉄スワローズ57712 .44534.5
6位大洋ホエールズ31990 .23861.5
1955年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位南海ホークス99413 .707優勝
2位西鉄ライオンズ90504 .6439.0
3位毎日オリオンズ85552 .60714.0
4位阪急ブレーブス80602 .57119.0
5位近鉄パールス60802 .42939.0
6位大映スターズ53871 .37946.0
7位東映フライヤーズ51893 .36448.0
8位トンボユニオンズ42981 .30057.0

日本シリーズ

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個人タイトル

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ベストナイン

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大学野球

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できごと

  • 前年結成された高橋ユニオンズトンボ鉛筆製作所と業務提携して「トンボユニオンズ」と改称するが、シーズン終了後に提携が解消され、再び「高橋ユニオンズ」に名称が戻っている。

1月

2月

3月

4月

5月

  • 5月5日 - 大映は駒沢球場での対近鉄ダブルヘッダー第1試合の3回戦に2対5で敗れ15連敗。第2試合の4回戦に10対1で処理し、連敗を15で止める[11]
  • 5月10日 - 中日の杉下茂が川崎球場での対国鉄スワローズ6回戦に先発し、1対0でノーヒット・ノーランを達成[12]
  • 5月11日 - 南海ホークス飯田徳治が西宮球場での対阪急4回で日本プロ野球通算1000試合出場を達成[13]
  • 5月21日 - 阪神の球団代表の田中義一は、監督の岸一郎が健康面での不安を理由に休養し、当面の間は助監督の藤村富美男が代理監督となると発表[14]
  • 5月22日 - 西鉄の仰木彬が松江での対トンボ5回戦でパ・リーグタイ記録の1試合6打席6安打[15]
  • 5月24日 - 毎日オリオンズ荒巻淳が駒沢球場での対大映スターズ7回戦において延長10回1死まで無安打無得点に抑えていたものの、増田卓に初安打を打たれ、ノーヒットノーラン達成ならず。試合も延長12回0対4で敗れ、荒巻は敗戦投手となった[16]

6月

7月

  • 7月7日 - 後楽園球場での国鉄対大洋9回戦で国鉄が6対0で勝ち、セ・リーグでは史上4度目の無残塁[20]
  • 7月16日
    • 大洋の青田昇が三次での対広島16回戦の四回表に9号本塁打を打ち、史上2人目のプロ通算200本塁打を達成[21]
    • 巨人の中尾碩志が川崎球場での対国鉄16回戦で今季10勝目を挙げ、プロ通算200勝を達成。
  • 7月20日 - 中日の原田徳光が中日球場での対大洋14回戦の一回裏に二塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成。戦後プロ入りしたセ・リーグの選手で初[22]
  • 7月23日 - 大洋が後楽園球場での対読売ジャイアンツダブルヘッダー13、14回戦に2対10、0対4で敗れ、セ・リーグタイ記録の14連敗[23]
  • 7月24日 - 大洋は後楽園球場での対巨人15回戦に3対1で勝利し、連敗を14で止める[24]
  • 7月28日 - 広島の長持栄吉神戸市民球場での対阪神11回戦の八回表二死満塁の場面で代打て出場し、プロ通算1000試合出場を達成[25]
  • 7月30日 - トンボユニオンズヴィクトル・スタルヒンが対近鉄戦(川崎球場)において日本プロ野球史上初の通算300勝を達成。ただし、当時は1939年の勝利数を2つ少なくする記録の修正がされていたため、9月4日の大映戦での勝利が300勝目とされた。

8月

9月

  • 9月6日 - 国鉄の大脇照夫が中日球場での対中日21回戦に先発し、9回までの投球72球のセ・リーグ最少記録[30]
  • 9月9日 - パ・リーグはペナント・レース1位に同率チームが出来た場合、優勝決定戦を行うことを決定[31]

10月

  • 10月6日 - 南海が平和台球場での西鉄22回戦に9-7で勝利し、2年ぶり4度目のパ・リーグ優勝達成[32]
  • 10月7日 - 巨人は横浜での対国鉄ダブルヘッダー第2試合の対23回戦に3-2でサヨナラ勝ちし、中日が大阪での対阪神対阪神ダブルヘッダー第2試合の24回戦に0-4で敗れたため、巨人の2年ぶり4度目のセ・リーグ優勝を達成[33]
  • 10月8日 - 毎日の荒巻淳が川崎球場での対トンボ20回戦で18勝目を上げ、プロ通算100勝を達成[34]
  • 10月11日
    • 1955年度のセ・パ両リーグの最高殊勲選手、最優秀新人、ベストナインを決める記者投票の開票が行われ、最高殊勲選手にセは巨人の川上哲治、パは飯田徳治、最優秀新人にセは阪神の西村一孔、パは毎日の榎本喜八、沢村賞に巨人の別所毅彦、パの最優秀投手に南海の中村大成がそれぞれ選出される[35]
    • 巨人の藤本英雄が和歌山での対広島ダブルヘッダー第二試合の26回戦の五回より救援登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成[36]
  • 10月12日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対中日ダブルヘッダー第1試合の23回戦の五回表に大矢根博臣から今季336個目の三振を奪い、沢村栄治が1937年の更新する1シーズン最多奪三振の新記録となる[37]
  • 10月13日 - パ・リーグの全日程が終了。南海は日本プロ野球最多のシーズン99勝をあげる。トンボは勝率.350を切ったため、制裁金500万円を払うことになった[38]
  • 10月19日 - 国鉄の金田正一が長野市営球場での対阪神26回戦で10三振を奪い、メジャーリーグの1シーズン最多奪三振348を更新する今季通算350奪三振となる[39]
  • 10月24日 - 日本シリーズの巨人対南海の第7戦が行われ、巨人が南海を4-0で下して4勝3敗とし、2年ぶり4度目の日本一達成[40]

11月

  • 11月23日 - 巨人対大洋ダブルヘッダー25、26回戦が神宮球場で行われ巨人が4対1、1対0で勝利。セ・リーグは全日程を終了[41]
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誕生

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月


死去

脚注

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