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野立町 (名古屋市)
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野立町(のだてちょう)は愛知県名古屋市熱田区及び中川区の町名。現行行政地名は野立町1丁目から野立町3丁目と22の小字[WEB 4]。住居表示未実施[WEB 5]。中川区野立町は河川用地のみ。
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地理
名古屋市熱田区の西部に位置し、南に河田町、北に切戸町、東に神野町と中出町、西に花塚町と中野本町と荒越町と接する。
野立町には「喧嘩池」なる小字がある。これは江戸初期に当時中野村であった当地で、藩士と農民の激烈な喧嘩が起こったことに由来する[2][3]。1621年(元和7年)に武士8人が当地に魚を取りに来た際、瓜を盗んで当地の百姓と喧嘩になり騒ぎとなった[2]。この際に武士に改易、百姓に斬罪の処罰が下った[2]。しかし翌年、改易となった武士が報復として村を訪れて、約60人の村人を殺害し、武士やその親族が切腹などの処罰を受ける大騒動となったという[2]。この事件は戦国期の気風が残っていた江戸初期の尾張で起きた闘争の代表例として知られている[2]。
字一覧
野立町には小字が残る。野立町及びその前身である愛知郡野立村の小字を以下に示す[4][5][6][WEB 4]。
以下の表において、
- 消滅した字については背景色 で示す。
- 現存する字のうち熱田区に所在するものには★を、中川区に所在するものには■を付した。
- 括弧内には読みを示す。
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歴史
要約
視点
町名の由来
前身である野立村が中野村と牛立村の合併により成立したことによる合成地名[7]。野立村は名古屋市編入後は野立町となるが、町名整理により大部分が他の町名に編入された。
現行の野立町1丁目から3丁目は、江戸期まで牛立村と中野村の境界付近であった地域にあたり、二村の領地が複雑に入り組んでいた。
行政区画の変遷
- 1878年(明治11年)12月28日 - 愛知郡牛立村・中野村の合併により、同郡野立村が成立[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 合併により愛知郡八幡村大字野立となる[1]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 合併により名古屋市南区野立町となる[1]。
- 1934年(昭和9年)5月1日 - 野立町字喧嘩池の一部を古新町に編入[8]。
- 1936年(昭和11年)
- 1937年(昭和12年)
- 7月14日 - 野立町字野田・東新田の一部を同区西野町に、字枇杷池の一部を同区青池町に、字江戸里の一部を青池町・千代田町にそれぞれ編入[12]。
- 10月1日 - 南区野立町が中川区に編入され、同区野立町となる[1]。また、南区野立町の一部(字野田・古起・東新田・枇杷池・五反畑)が熱田区に編入され、同区野立町が成立[13][14]。
- 12月7日 - 野立町字上田・海道畔の各一部を切戸町に、字御千代田の一部を青池町・千代田町に、字京田の一部を千代田町にそれぞれ編入[15]。
- 12月14日 - 野立町字上田・海道畔の各一部を切戸町に、字御千代田の一部を青池町・千代田町に、字京田の一部を千代田町にそれぞれ編入[15]。
- 1939年(昭和14年)5月1日 - 中川区野立町字明田の一部を同区明野町に、字京田の一部を八千代通・明野町に、字五反畑の一部を八千代通・明野町・柳川町それぞれ編入[13][12]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 中川区野立町と熱田区野立町の間で境界変更が行われる[13]。
- 1952年(昭和27年)3月25日 - 熱田区野立町字野田の全域を西野町1丁目・大宝町2・3丁目・西郊通4丁目に、字古起の全域を西郊通2・3・4丁目・比々野町・中出町1丁目に、字東新田の一部を西野町2・3丁目、西郊通6・7丁目に、字枇杷池の全域を青池町3丁目・中出町1丁目・西郊通3・4丁目に、字荒越の一部を野立町1・2丁目と中川区野立町にそれぞれ編入[13]。
- 1960年(昭和35年)3月25日 - 熱田区野立町字喧嘩池の一部を野立町3丁目・河田町に、字三味越の一部を野立町1丁目・切戸町3丁目にそれぞれ編入[8]。熱田区野立町字喧嘩池・三味越の一部を中川区に変更[8]。
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世帯数と人口
2018年(平成30年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 1,305人 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 1,149人 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 1,055人 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 1,065人 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 1,022人 |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 6] | 445世帯 | ||
2000年(平成12年)[WEB 7] | 436世帯 | ||
2005年(平成17年)[WEB 8] | 433世帯 | ||
2010年(平成22年)[WEB 9] | 475世帯 | ||
2015年(平成27年)[WEB 10] | 486世帯 |
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。なお、小学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。
施設
- 童子公園
- 1963年(昭和38年)4月1日供用開始[WEB 13]。
- なかよしどんぐりひろば
- 聞信寺
その他
日本郵便
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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