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大塔村 (奈良県)
日本の奈良県吉野郡にあった村 ウィキペディアから
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大塔村(おおとうむら)は、かつて奈良県の南西部に存在した村である。 2005年9月25日、吉野郡西吉野村とともに五條市に編入され廃止した。
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概要

地理
奈良県の南部、紀伊半島の中央部に位置し、紀伊山地を東西に分ける十津川沿いに村落を構える山間(やまあい)の村である。村内の96%は森林であり、高地にあって澄んだ空気に包まれているため夜空に広がる星の煌めきは格別である。高地に位置する為、夜間、雲が下降し一時的に霧になる事がある。霧が晴れた後は下界の光を霧が遮断する為、銀河などが比較的良く見える。また、天文台は広い敷地を抱え、観望会などが催される[1]。
気候
人口
1920年から1960年まで
- 1920年に実施された国勢調査では3111人であり、1950年の国勢調査では3127人である。この年まで、人口は3000人程度を維持していた。その後は猿谷ダム建設に伴う建設関係者が流入したことから、人口は急増し、1955年の国勢調査では5401人を記録した。ダムが完成すると建設関係者は流出し、さらにダムが完成したことによって集落が水没する地域に居住していた人も流出したことから、1960年の国勢調査では2991人になった[4][2]。
- 猿谷ダムに沈む前の阪本の街並み
1950年頃撮影
1960年から五條市との編入合併直前まで
面積
奈良県の約3%を占めている[5]。
- 111.06㎢
位置・標高
隣接自治体
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行政
村長
- 北村年宏 - 1992年2月11日から2005年9月24日まで(最後の村長)
村章
歴史
村名の由来
沿革
江戸時代には以下の18村が成立し、十二村郷一郷組、十二村郷野長瀬組、舟ノ川郷に分かれていた。
- 十二村郷一郷組:坂本村、簾村、中原村、小代村、唐笠村
- 十二村郷野長瀬組:殿野村、猿谷村、辻堂村、閉君村、宇井村、堂平村、引土村、飛養曽村、清水村
- 舟ノ川郷:篠原村、中峯村、惣谷村、中井傍示村
明治時代から大正時代
昭和時代から五條市編入合併直前まで
- 1936年(昭和11年)5月17日 - 大塔村役場が完成する[9]。
- 1956年(昭和31年)4月22日 - 阪本の大火が起こる[10]。
- 1958年(昭和33年)4月25日 - 大塔村観光協会が発足する[10]。
- 1976年(昭和51年)11月1日 - 現在の五條市役所大塔支所の建物(旧・大塔村役場)が完成する[11]。
- 2005年(平成17年)9月25日 - 五條市に編入。同日大塔村廃止。
- 1936年撮影の大塔村役場
- 阪本の大火
1956年4月22日撮影
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産業
施設
- 大塔村役場
教育
合併前まで存在した学校
- 大塔村立大塔中学校
- 大塔村立大塔小学校
廃止された学校
- 大塔村立大塔第二中学校
- 大塔村立中原小学校
- 大塔村立永盛小学校
- 大塔村立天辻小学校
- 大塔村立惣谷小学校
- 大塔村立篠原小学校
- 大塔村立辻堂小学校
- 大塔村立阪本小学校
交通
鉄道
道路
国道
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光
祭事
その他
- 大阪大学核物理研究センター (RCNP)
参考文献
- 大塔村総務課『大塔村のあゆみ』奈良県吉野郡大塔村、2005年9月。
脚注
関連項目
外部リンク
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