トップQs
タイムライン
チャット
視点

鈴木正 (競馬)

ウィキペディアから

Remove ads

鈴木 正(すずき ただし、1961年9月12日 - )は、東京都出身[1]の元騎手地方名古屋宇都宮所属)。

概要 鈴木正, 基本情報 ...

経歴

要約
視点

1979年6月21日の名古屋第10競走・ダイシンサンド(10頭中8着)で初騎乗を果たし、8月10日の名古屋第7競走・ウルガンで初勝利を挙げる[2][3]

名古屋時代はそれほど勝てず、7年目に宇都宮へ移籍し、リーディング上位に定着し、重賞も数多く勝った[4]

1993年8月11日には1000勝、1998年12月12日には1500勝を達成し[1]、1998年から2001年にはホマレスターライツとのコンビで活躍[5]。4戦目の足利でのレコードタイムで勝った3歳戦から連勝が始まり、4歳となった1999年も初戦の4歳選抜戦から連勝を継続[5]。華厳賞で優勝して14連勝となり、園田楠賞全日本アラブ優駿ではワシュウジョージに1馬身差を付けて15連勝で日本一を獲得[5]。地元に帰って初戦の胡蝶特別では1分35秒7のレコード勝ちで16連勝を記録したが、続く8月8日の天の川特別では2着に終わって連勝は16でストップ[5]。その後は水沢の北日本アラブ優駿を制し、とちぎアラブ王冠では北日本アラブ優駿4着のイーシーキングと再び対戦[6]。ホマレスターライツはスタート直後に躓いて致命的なほど遅れたが、遅れをすぐに挽回し、2コーナー手前で外に出すと、じわじわとポジションを上げる[6]。仕掛けてからは先行各馬を見る見る内に交わしていき、逃げるイーシーキングに迫ろうとすると、イーシーキングもまたスパートをかけ、2頭の後ろは離れる一方となる[6]。直線では懸命の逃げ込みを図るイーシーキングをホマレスターライツが手応え十分で3/4馬身捕らえ切ってゴールし、3着を3秒6ちぎってのレコード決着という衝撃的なレース内容に、場内は一種異様な空気に包まれた[6]。その後は北関東アラブチャンピオンも制し[5]、とちぎアラブ大賞典でも56kgを背負って52kgのイーシーキングを完封[6]2000年には栃木のアラブ競走廃止に伴い福山に移籍したが[6]、鈴木は栃木時代の全レースに騎乗した[5]

1999年と2000年には中央から移籍してきたリンドシェーバー産駒キングフィーバーで活躍し、1999年は足利のばん阿賞で重賞初勝利[7]を挙げると、続くとちぎ大賞典ではブライアンズロマンの5連覇を阻み[8][9]2000年には足利の太平記記念ではベラミロードの兄イヴニングスキーを抑えて重賞2勝目を挙げる[10][11]

2001年からはトウショウゼウスで活躍し、11月3日福島第9競走秋明菊賞では逃げて5着に粘り[12]、かもしか賞で重賞初勝利を達成[13]2002年には北関東皐月賞などに勝って北関東の中心的存在となり、2003年には宇都宮記念を制した[13]

2001年の第1回とちぎマロニエカップではイヴニングスキーで中央のビーマイナカヤマノボジャックワシントンカラーに次ぐ地元勢最先着の5着[14]に入り、イヴニングスキー・ベラミロード兄妹が出走したとちぎ大賞典を6番人気のナルシスゼットオーで制す[9][15]

2002年12月31日には宇都宮第7競走2歳選抜・ビジンビジンで2000勝を達成し[1][16]、とちぎ大賞典ではハイコンプリートで2着に6馬身差の圧勝[17]で自身は連覇を達成[9]

2005年はハイコンプリートで圧倒的人気に応えて織姫賞を制したのが最後の重賞勝利[18][19]2月22日の宇都宮第9競走光徳賞・マルターズイエラが最後の勝利[3][20]となった。

最後の日となった2005年3月14日は5鞍に騎乗し[3][21]、最後の騎乗となった平成16年度とちぎ大賞典はハイコンプリートで途中から先頭に立って3着に粘った[22]

廃止後は南関東に移籍できるなら行きたいとは思ったが、年齢制限があって移籍できず、現役を引退[4]

一般の仕事に少し憧れのようなものがあった鈴木は、県が競馬場内に設けた再就職相談窓口を訪ねると、担当者から「鈴木さんはサービス業が合いますよ」と言われて結婚式場の仕事を紹介される[4]。面接を受けたら採用してくれることになったが、手取り13万円という額を提示され、収入の厳しさから断念[4]

改めて再就職先を求めて競馬場事務所に出入りしていたところ、県内の牧場で乗れる人を探しているという話を聞き、行ったところ即採用される[4]

2011年初頭には船橋川島正行調教師から電話で依頼を受け、フリオーソの追い切りを担当し、フリオーソはフェブラリーステークスで猛然と追い込んで2着に入った[4]

現在は茨城県の牧場へ移り、休養に来た競走馬を鍛え直し、力をつけて送り出している[4]

Remove ads

通算成績

  • 15630戦2314勝(重賞53勝) 勝率14.8%、連対率27.7%

主な騎乗馬

斜体は地方全国交流競走。

  • クリスタルセイザー(1983年アラブスプリンターカップ【笠松】)
  • シビルアイバー(1985年師走特別)
  • ハシモトキング(1990年しもつけ弥生賞、しもつけさつき賞、とちぎダービー
  • ウイニングハンター(1990年マロニエ杯アラブ優駿、日刊スポーツ新聞社杯)
  • クライブワン(1991年おおるり賞、1992年華厳賞、朝顔賞)
  • キングトライ(1995年とちぎアラブ王冠、北関東アラブチャンピオン、とちぎアラブ大賞典)
  • ナイスアタック(1995年おおるり賞、1996年北関東アラブチャンピオン、1997年高崎観音賞)
  • アイコマシルバー(1997年しもつけ菊花賞)
  • ホマレスターライツ(1999年楠賞全日本アラブ優駿・北日本アラブ優駿・とちぎアラブ王冠・北関東アラブチャンピオン・とちぎアラブ大賞典)
  • キングフィーバー(1999年ばん阿賞・とちぎ大賞典、2000年太平記記念)
  • トウショウゼウス(2001年かもしか賞、2002年春蘭特別・北関東皐月賞、2003年尊氏賞・カネユタカオー記念・穂の香賞・宇都宮記念・とちぎスプリンターズ天馬杯)
  • ナルシスゼットオー(2001年とちぎ大賞典)
  • ハイコンプリート(2002年とちぎ大賞典、2003年・2004年春光賞、2005年織姫賞)
Remove ads

脚注

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads