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ブライアンズロマン
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ブライアンズロマン(欧字名:Brian's Roman、1991年6月2日 - 2023年12月10日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1998年のさくらんぼ記念など。
「栃木の怪物」の異名を持つ[2]。
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概要
地方競馬の今は無き宇都宮競馬場の末期を代表する競走馬の1頭である。
種牡馬ブライアンズタイムの初年度産駒で、同年生まれのカルラネイチャーとは北関東ダービーで対戦し2着に敗れた。中央競馬における代表産駒であるナリタブライアンも同年生まれである。
平地競走勝利数43は戦後日本におけるサラブレッド最多記録(当時)[3][4]、重賞競走の勝利数17は日本3位タイの記録。主戦騎手は内田利雄で、栃木時代の内田を代表する馬でもある。
育成段階から脚元に不安があり中央競馬の厩舎に預託を断られたため、母・ダイロマンが競走馬生活の後半に在籍した宇都宮競馬場に籍を置くことになったと言われている。
競走生活の間は一貫して脚元の様子をうかがいながらの競馬に終始したが、厩舎関係者の努力もあって良い意味で安定し、地元宇都宮のレースを中心に出走を重ねて行った。地元宇都宮では1995年から1998年にかけてとちぎ大賞典を4連覇し、栃木県での競走に限れば8歳秋(現馬齢表記では7歳秋)になるまで連対を外さないという強さと堅実さを見せ続けた。
また、遠征しても1998年のダートグレード競走・さくらんぼ記念では中央競馬の競走馬を相手に勝利を収めた。その他、高崎競馬場の開設記念を制するなど、1990年代の北関東地区の最強馬として活躍した。 2000年、9歳にして中央重賞・オールカマーに初挑戦。メイショウドトウやステイゴールドなど中央GⅠ級のメンバーが出走したことや最高齢であったため最低人気ではあったものの、中央馬含む二頭に先着した。
なお、半妹・ロマンリバー(父・ダイナガリバー)も宇都宮競馬場に在籍していた。こちらも重賞・青峰特別を制し宇都宮から中央競馬のクラシック競走への挑戦も視野に入れていた当地の期待馬であったが、1996年2月3日の朝の調教中に放馬、競馬場から道路に飛びだして自動車と衝突、骨折してしまい予後不良になるという悲運に見舞われている[注 1][5]。
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引退後
引退後は種牡馬として太平洋ナショナルスタッドで繋養された[6]。
しかし、父・ブライアンズタイム、母父・ブレイヴェストローマン、母母父・パーソロンといずれも日本で成功している血統が重ねられており、しかも、父系が1990年代のサンデーサイレンス・ブライアンズタイムの大成功で全盛を迎えていたヘイルトゥリーズン系であるため、牝馬との配合の難しさや似た様な血統構成を持つ種牡馬との競合もあり繁殖牝馬の確保ができず、2007年8月に用途変更となった[7]。
その後は有志が「ブライアンズロマンの会」を結成し身元を引き受け、北海道新ひだか町の荒木牧場で余生を送った[8][9]。ちなみに、この荒木牧場では平地最多勝馬(当時)[10]のエスケープハッチ(アングロアラブ)も同じく余生を送っている[11]。
競走成績
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血統表
ブライアンズロマンの血統(ロベルト系/Roman5x4=9.38%、Nasrullah5x4=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 *ブライアンズタイム Brian's Time 1985 黒鹿毛 |
父の父 Roberto1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Kelley's Day1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | ||
Flower Bowl | ||||
Golden Trail | Hasty Road | |||
Sunny Vale | ||||
母 ダイロマン 1982 黒鹿毛 |
*ブレイヴェストローマン 1972 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Roman's Song | Roman | |||
Quiz | ||||
母の母 スイートランバン1974 鹿毛 |
*パーソロン | Milesian | ||
Paleo | ||||
*レリナ | Reliance | |||
Zurina |
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脚注
外部リンク
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