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銚子口信号場

北海道亀田郡七飯町字東大沼にある北海道旅客鉄道の信号場 ウィキペディアから

銚子口信号場map
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銚子口信号場(ちょうしぐちしんごうじょう)は、北海道渡島総合振興局亀田郡七飯町字東大沼にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線(通称:砂原支線)の信号場である。電報略号シク[1]。旅客営業末期の駅番号N69事務管理コードは▲140152[2]

概要 銚子口信号場, 所在地 ...

本項では、かつて駅前に存在した大沼電鉄新銚子口駅(しんちょうしぐちえき)についても記述する。なお、戦前に一時休止となる前の大沼電鉄に存在した銚子口駅とは別駅である[3]

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歴史

要約
視点

砂原線が開通した当時、当駅は雑木林を切り開いてつくられ、駅前には官舎がある程度で民家は皆無であった[4]。しかし、1948年(昭和23年)に大沼電鉄が当駅前に設置された新銚子口駅 - 鹿部温泉駅(→鹿部駅、現存の鹿部駅とは別駅)間で運転を再開すると、民家が数軒建ち、乗換客で活況を呈した[4]

1952年(昭和27年)には早くも大沼電鉄は廃止されてしまい、当駅の乗降客も激減[4]、その後は国鉄合理化による無人化を経て、JR北海道継承後の2022年(令和4年)に利用客僅少を理由に旅客扱いを終了して、信号場となった。

年表

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1976年の銚子口駅と周囲約750m範囲。下が大沼方面。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

大沼電鉄銚子口駅については当該項目を参照。また、同電鉄新銚子口駅については後項も参照。

信号場名の由来

集落名より。大沼が東北端に行くにしたがい細くなり、銚子の形のようになっていることから名付けられた[5][1][12]

構造

2線を有する信号場。

旅客駅時代は大沼駅管理(夜間連絡先は森駅)の無人駅で、駅舎は構内の東側に位置し上り線ホーム中央部分に接していた[1]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡していた。駅舎側(東側)ホームが上り線、対向側ホームが下り線となっていた(番線表示なし)[1]。そのほか上下線共に安全側線を有する[1]。転轍機の形状は上り線からの方開き分岐である[1]

有人駅時代の駅舎は改築され、外壁にサイディングが張られ、建物の規模に比し軒の高さが高い建物となっている[13]。駅舎内にトイレを有していた[13]

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利用状況

要約
視点

乗車人員の推移は以下の通り。年間の値のみ判明している年度は日数割で算出した参考値を括弧書きで示す。出典が「乗降人員」となっているものについては1/2とした値を括弧書きで乗車人員の欄に示し、備考欄で元の値を示す。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

さらに見る 年度, 乗車人員(人) ...
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駅周辺

駅前には民家が並んでいる[13]

大沼電鉄(新銚子口駅)

概要 新銚子口駅, 所在地 ...

新銚子口駅(しんちょうしぐちえき)は、かつて北海道(渡島支庁)亀田郡七飯村東大沼にあった大沼電鉄の駅(廃駅)である。戦後に開業した当駅は、国鉄銚子口駅の駅前に位置していた[18]

歴史

駅跡

当駅は、1999年(平成11年)時点ではJR銚子口駅前の空地となっていた[19]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[18]。駅附近の鹿部方への線路跡は、1999年(平成11年)時点では沼尻川を渡る地点までが住宅地に続く舗装道路となっていた[19]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[18]。また1945年(昭和20年)廃止の線路跡と復活後の線路跡の合流地点附近の沼尻川に築堤と橋台が残存していた[18]

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隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
函館本線(砂原支線)
大沼駅 (H68) - *池田園駅 (N71) - *流山温泉駅 (N70) - (銚子口信号場) - *新本別信号場 - 鹿部駅 (N68)
*打消線は廃駅および廃止信号場[JR北 1][6]

かつて存在した路線

大沼電鉄
大沼電鉄線(戦後)
新銚子口駅 - 大沼温泉駅

脚注

関連項目

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外部リンク

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