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長塩正家
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長塩 正家(ながしお まさいえ)は、江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本。
生涯
長塩家は甲斐武田家の旧臣であった家で、正家の祖父の長塩正平(主水)が武田信玄・勝頼に仕えたのち徳川家康の家臣になったという[1]。正家は徳川家康・秀忠に仕えて大番を務め、常陸国鹿島郡にて350石を知行する[1]。寛永10年(1633年)2月7日、武蔵国多摩・男衾・榛沢・賀美郡内にて200石を加えられ、知行高は合計550石となる[1][注釈 1]。
万治元年(1658年)11月4日、60歳で没[1]。墓所は東京都福生市熊川にある福生院にある[3][注釈 2]。長塩家の墓塔である五輪塔は、福生市の史跡に指定されている[3]。
系譜
旗本長塩家の祖先について、『寛永諸家系図伝』では尾張国丹羽氏の支族とし、足利義満に仕えた長塩家次(兵衛五郎)との関係も示唆されている[1]。しかし『寛政重修諸家譜』編纂時の呈譜では藤姓足利氏の流れを汲むと主張している[1]。
長塩家の知行地支配
熊川の「鍋ヶ谷戸」一帯は、正家以来、明治元年(1868年)まで長塩家の知行地であった[3][注釈 3]。地域には、領主の長塩家が水不足に悩む村人たちために掘って与えたという「伝 地頭井戸」(福生市登録文化財)などの史跡が残る[9]。
脚注
参考文献
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