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長崎市立淵中学校
長崎県長崎市にある中学校 ウィキペディアから
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長崎市立淵中学校(ながさきしりつふちちゅうがっこう、Nagasaki City Fuchi Junior High School)は、長崎県長崎市梁川[1]町 にある公立中学校。
概要
沿革
- 1940年(昭和15年)4月1日 - 「淵高等小学校」(修業年限2年)[4]が開校。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、「淵国民学校」(高等科)と改称。
- 1945年(昭和20年)8月9日 - 原子爆弾により校舎が破壊・焼失し、教職員・在籍児童の大半が爆死するという大きな被害を受ける。
- 1946年(昭和21年)7月20日 - 「職員児童戦災死者之碑」を建立。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)
- 1956年(昭和31年)5月15日 - 校歌・校旗を制定。
- 1968年(昭和43年)6月20日 - プールが完成。
- 1984年(昭和59年)- 体育館を建替え。旧体育館の一部を原爆遺構として保存。
- 1989年(平成元年)6月13日 - 運動場にプレハブ仮設校舎建築に着工。
- 1990年(平成2年)8月30日 - 新校舎が完成し、移転。
- 1991年(平成3年)4月27日 - 新校舎落成記念式典を挙行。
- 1992年(平成4年)7月26日 - 平和モニュメント「平和の輝生」が完成。
- 1994年(平成6年)9月20日 - 福州少年交流団との交流会を実施。
- 1995年(平成7年)8月9日 - 被爆50周年慰霊、平和祈念式典を挙行。
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学校行事
- 体育大会は春(5月)に行われている。
部活動
- 運動部
- 文化部
原子爆弾の被害
淵国民学校は爆心地(北緯32度46分24.8秒 東経129度51分47.1秒)から南西に1.2kmの場所に位置していた。1945年(昭和20年)5月には教員も生徒も軍需工場へ動員されており、学校教育は完全に停止していた。被爆当日、校内には三菱電機と三菱造船所の工場が併設されていて、68名が作業を行っていた。そのうち教職員が2名と工員15名が焼死した。動員先や家庭での職員、生徒の死亡者は138名と推定されている。そして鉄筋コンクリート造3階建ての本館校舎は全焼、体育館は骨組みだけになり、他の木造校舎と平屋の建物も全焼、崩壊した。[5]
2015年(平成27年)、校内に分散していた資料をまとめて平和資料館「希望館」を開設[6]。2025年(令和7年)3月11日にリニューアルオープンした[6]。
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制服
著名な出身者
- 福山雅治(シンガーソングライター・俳優)
- 増田珠(福岡ソフトバンクホークス)
- 毎熊晟矢(V・ファーレン長崎)
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
- 長崎ブリックホール
- みらい長崎ココウォーク
- 長崎市民総合プール
- 松山陸上競技場
- 活水中学校・高等学校
- 長崎県立長崎西高等学校
- 長崎市立稲佐小学校
- 長崎市立城山小学校
- 聖マリア学院小学校・中学校
- カトリック城山教会
脚注
参考文献
関連事項
外部リンク
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