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長沙市
中国湖南省の省都 ウィキペディアから
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長沙市(チャンシャーし、中国語: 长沙市、拼音: 、長沙語:t͡sã13 sɔ33sɿ21、英: Changsha City)は、中華人民共和国湖南省の省都。略称は長、別称は星城。中国中南部に位置する特大都市で[1]、「新一線都市」および全国交通ハブ都市の一つに位置づけられている[2][3]。2400年以上の歴史を持つ古都であり[4]、隣接する都市とともに「長株潭都市圏」を形成している。
建設機械や新材料などの工業、サービス業を主要産業とし、娯楽・文化産業、特にマスメディアやバラエティ番組制作の分野では全国的に知名度が高い[5][6]。21世紀初頭の10年間において中国の主要都市の中でGDP成長率が最も高く[7]、一人当たりGDPは2万米ドル超[8]。
6市轄区・2県級市・1県を管轄下に置く。総人口は2024年末時点で1061.65万人となり、市内総生産は1兆5268億元(約2126億米ドル)である[9]。
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概要
長沙は、長江中流地方、湖南省東部の湘江下流の平野に位置し、市内6区と県級市の瀏陽市・寧郷市及び長沙県を管轄し、省都として湖南省の行政・経済・文化・科学・交通・教育の中心都市となる。華中六大都市の一つであり、中国南部の高速鉄道網・航空路の中枢の一つである。長沙を中心に、南部の株洲市・湘潭市を含む「長株潭都市圏」は人口1,700万人を超える都市圏である[10]。
有名な詩人である屈原や賈誼に由来し「屈賈之郷」と呼ばれ[11]、「惟楚有才、於斯為盛」という名句を残した岳麓書院により北宋時代から儒教の聖地となったため「瀟湘洙泗」とも称される[12]。地理的には岳麓山・湘江・橘子洲に囲まれており、「山水洲城」とも呼ばれる。市内では湘語に属する長沙語、寧郷市では寧郷語、瀏陽市では贛語に属する瀏陽語が使用される[13]。
長沙は現在位置で2,400年以上の都市建設の歴史を持ち[14]、「長沙」の名は先秦時代の『逸周書・王会』にまで遡る。湘江両岸の白砂を意味する「沙」と古越語の接頭辞である「長」を組み合わせて名付けられた[15][16]。秦代には長沙郡が設置され、前漢には長沙国が成立、五代十国時代の長沙は南楚の都であった。清代末期には中国の四つの米・茶の貿易都市の一つになり[17]、近代には主な政治革命の拠点都市となった。 譚嗣同らは長沙に時務学堂を設立、黄興らはここで華興会を結成、毛沢東もここで早期の政治運動を展開した。1930年代には一時繁栄を極めたが、その後は「文夕大火」により壊滅的な打撃を受けた[18]。
「世界建設機械の都」と称される長沙には、世界トップ50の建設機械企業4社が集まり、建設機械と新材料を中心に、自動車、電子情報、家電製品、バイオ医薬を含む産業チェーンが形成されている[19][20]。現地には100社超の日系企業が進出し、173社のグローバル500企業が拠点を置いている[21]。改革開放以降、1990年代から高度成長を遂げ、2015年には中国中部初の国家級新区である湘江新区を設立した[22]。「985工程大学」を3大学も持ち、スーパーハイブリッド米、スーパーコンピュータ「天河1号」、中国初のレーザー3Dプリンタなどが生まれた地でもある[23]。
ユネスコ「世界メディアアーツ都市」に指定されているなど、文化産業の発展も著しい[24]。国内有数の地方テレビ局である湖南テレビの影響力によって、中国の芸能人・有名人が数多く訪れる。都心地に演芸バーやディスコ・カラオケバーなどがたくさん立ち並び、「娯楽の都」として知られる[6]。
全国交通ハブ都市に指定されており、京広線などの2本以上の鉄道線と、京港旅客専用線を含む3本の高速鉄道線が交差し、長株潭都市間鉄道や長沙リニア快線などが運行されている。
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地理
歴史
長沙の名は早くも『逸周書』に見え、春秋戦国時代には楚国に属し、成王のとき黔中郡が置かれたことに始まる。秦代に秦36郡のひとつとして長沙郡が設置されている。漢代初には呉芮を封じて臨湘県を都とする長沙王国が設置され、5代46年間続いた。長沙王国の相である軑侯利蒼一族の墓所として有名な馬王堆漢墓を今に伝える。隋唐代から清末にかけて潭州の中心として発展し、中華民国が成立すると1933年に長沙市と改称、湖南省の省都とされ現在に至っている。
行政区画
要約
視点
年表
長沙市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国湖南省長沙市が発足。東区・南区・西区・北区・文芸区・金盆区・岳麓区・会春区が成立。(8区)
- 1950年4月 - 金盆区・文芸区・岳麓区・会春区が合併し、郊区が発足。(5区)
- 1953年10月 - 郊区の一部が分立し、水上区が発足。(6区)
- 1956年11月30日 - 水上区が郊区に編入。(5区)
- 1959年3月31日 (4区1県)
- 湘潭専区長沙県を編入。
- 郊区が長沙県に編入。
- 1960年8月26日 - 長沙県の一部が分立し、岳麓区が発足。(5区1県)
- 1962年1月12日 - 長沙県の一部が分立し、郊区が発足。(6区1県)
- 1974年1月6日 - 岳麓区が西区に編入。(5区1県)
- 1977年12月21日 - 長沙県の一部が分立し、望城県が発足。(5区2県)
- 1983年2月8日 - 湘潭地区瀏陽県、岳陽地区湘陰県、益陽地区寧郷県を編入。(5区5県)
- 1983年7月13日 - 湘陰県が岳陽地区に編入。(5区4県)
- 1993年1月16日 - 瀏陽県が市制施行し、瀏陽市となる。(5区1市3県)
- 1996年4月22日 (5区1市3県)
- 2008年1月 - 望城県の一部が岳麓区に編入。(5区1市3県)
- 2008年3月 - 望城県の一部が岳麓区に編入。(5区1市3県)
- 2011年5月20日 - 望城県が区制施行し、望城区となる。(6区1市2県)
- 2015年1月14日 - 長沙県の一部が天心区・雨花区に分割編入。(6区1市2県)
- 2017年4月9日 - 寧郷県が市制施行し、寧郷市となる。(6区2市1県)
長沙専区
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国湖南省長沙専区が成立。湘潭県・長沙県・岳陽県・醴陵県・瀏陽県・湘陰県・平江県・臨湘県が発足。(8県)
- 1950年7月1日 - 湘潭県の一部が分立し、湘潭市が発足。(1市8県)
- 1950年7月 (1市8県)
- 1951年2月 (1市8県)
- 岳陽県の一部(春清郷・永益郷)が湖北省沔陽専区監利県に編入。
- 湖北省沔陽専区監利県の一部(江南郷)が岳陽県に編入。
- 1951年5月26日 - 長沙県の一部が分立し、望城県が発足。(1市9県)
- 1951年6月6日 - 湘潭県の一部が分立し、株洲市が発足。(2市9県)
- 1952年6月17日 (2市9県)
- 湖北省孝感専区蒲圻県の一部(下万垸)が臨湘県に編入。
- 臨湘県の一部(新運洲)が湖北省孝感専区蒲圻県に編入。
- 1952年9月24日 - 長沙専区が湘潭専区に改称。
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気候
要約
視点
温暖湿潤気候に属する。特に夏は非常に蒸し暑いため不快指数が高く、「三大ボイラー」と称される重慶、武漢、南京にも匹敵し、これらに長沙も加えて「四大ボイラー」と呼ばれることもある。
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経済
市内には長沙経済技術開発区と長沙ハイテク産業開発区が設置され、2008年の全市生産総額(GDP)は3000.98億元、2015年は8510.13億元(1366.3億米ドル)。一人あたりGDPは2015年に115443元(18535米ドル)。
名勝
教育
古くは中国最初の最高学府[要出典]である岳麓書院が置かれ、現在でも国家重点大学が5校存在する中国国内の教育・研究重点都市[要出典]として位置付けられている。
交通
- 空港 - 長沙黄花国際空港
ゆかりの人物
友好都市
脚注
外部リンク
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