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関昌寺 (長野県阿南町)
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関昌寺(かんしょうじ)は長野県下伊那郡阿南町富草字野上原にある曹洞宗の寺院。山号は醫王山。
歴史
天正12年(1584年)3月、下条牛千代が、父の下条信正(法名:一無祖関居士)の菩提を弔うために、新野村の瑞光院に寄進された五貫文の土地を資とし、瑞光院の前住であった浮翁全瑳を招聘して開山し、三回忌にあたり伊那郡粟野村に建立した。
下条氏の最初の寺院である下條村に存在した開眼寺[1]から薬師如来を移して本尊としたことから、山号を醫王山とした。
また寺号は、下条信正の法名の中から「関」の字と、仏教が昌えることを期待して関昌寺とした。
江戸時代初期に、関昌寺四世の直心玄朔が、伊那郡田村村に留錫して郷氏からの要望によって臨済宗妙心寺派の東岸寺を曹洞宗に改宗して洞岩寺に改号して再興した。
慶安元年(1648年)、五世の古禅凛互が、門前にて徳川家光から山林竹木諸役免除の制札を受けて朱印地となり10石を与えられた。
しかし凛亘が遷化後に、朱印地であるにも関わらず上納米を徴収されたことがあったが、
天和3年(1683年)5月、七世の日岑欽舜の時に再度申請して朱印地となった。
本尊の薬師如来坐像は、制作年月日は不明であるが、像高53cm、木造玉眼漆箔、付属として台座・光背を備えている。
万治4年/寛文元年(1661年)の火災の際に損傷を受けたとされ、
貞享元年(1684年)に原型を取り戻したとされている。毎年、春と秋に開帳が行われている。
伊那郡内屈指の大寺であったが、嘉永4年(1851年)、火災によって諸堂を焼失した。
庫裡は再建されたものの本堂は存在しないまま今日に至っている。
山門は、円柱の四足門で、呟龍の立派な彫刻が施されている。
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指定文化財・天然記念物
阿南町指定文化財
- 関昌寺薬師如来坐像
- 関昌寺山門
令和5年3月23日指定
阿南町天然記念物
- 関昌寺寺叢
末寺
- 正法寺 (長野県阿南町)
- 長松院 (長野県阿南町)
- 観音寺 (長野県阿南町)
- 梅林寺 (長野県阿南町)
- 松嶽寺 (長野県阿南町)
- 洞岩寺 (長野県豊丘村)
- 常泉寺 (長野県中川村)
交通
関連リンク
参考文献
- 『阿南町誌 上巻』 第2編 歴史 第3章 中世 四 関昌寺創立と正法寺 p583~p586 阿南町町誌編纂委員会 1987年
- 『大下条村誌』 第五章 神社・仏閣 第二節 仏閣 関昌寺 p87~p88 熊谷星外 著 大下条村史編纂委員会 1961年
脚注
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