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関根浩史
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関根 浩史(せきね ひろふみ、1961年9月14日 - )は、千葉県千葉市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
千葉工業高では、エースとして1978年秋季県大会で完全試合を達成し、関東大会に進むが、1回戦で巨摩高にコールド負け、春の選抜出場を逸する。
高校卒業後、社会人野球は日産自動車に進む。1982年の都市対抗野球では池田親興、森岡真一との投の三本柱で準決勝に進むが、優勝した住友金属の石井毅投手に抑えられ敗退。同年の第27回アマチュア野球世界選手権大会の日本代表に選出される。
1982年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから2位指名を受け入団[1]。日産自動車側からは指名見送りの要望があったが、大洋が強行指名した。関根本人の希望もありプロ入りするが、以降の日産自動車と大洋球団の関係は一時険悪なものとなった[2]。
プロ1年目の1983年からリリーフとして一軍登板を果たし、2年目の1984年から先発投手陣の一角を占め、10月10日のダブルヘッダーでは規定投球回到達のために2試合とも先発し、第1試合は完投、第2試合は2回を投げるがいずれも敗戦投手で結果は17位、防御率4.29になった。翌1985年5月13日対巨人戦に先発して初完封する等6勝をあげるが、以降は肩の故障もあって低迷し、1988年限りで現役を引退[1]。
現在は、横浜市の緑東シニアのコーチをしている。
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詳細情報
年度別投手成績
記録
背番号
- 12 (1983年 - 1985年)
- 21 (1986年 - 1987年)
- 49 (1988年)
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脚注
関連項目
外部リンク
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