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1982年の野球
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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 中日ドラゴンズ | 64 | 47 | 19 | .577 | 優勝 |
2位 | 読売ジャイアンツ | 66 | 50 | 14 | .569 | 0.5 |
3位 | 阪神タイガース | 65 | 57 | 8 | .533 | 4.5 |
4位 | 広島東洋カープ | 59 | 58 | 13 | .504 | 8.0 |
5位 | 横浜大洋ホエールズ | 53 | 65 | 12 | .449 | 14.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 45 | 75 | 10 | .375 | 23.5 |
パ・リーグ
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 西武ライオンズ | 68 | 58 | 4 | .540 | 優勝 |
2位 | 日本ハムファイターズ | 67 | 52 | 11 | .563 | -2.5 |
3位 | 近鉄バファローズ | 63 | 57 | 10 | .525 | 2.0 |
4位 | 阪急ブレーブス | 62 | 60 | 8 | .508 | 4.0 |
5位 | ロッテオリオンズ | 54 | 69 | 7 | .439 | 12.5 |
6位 | 南海ホークス | 53 | 71 | 6 | .427 | 14.0 |
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
パシフィック・リーグプレーオフ
日本シリーズ
個人タイトル
ベストナイン
ダイヤモンドグラブ賞
オールスターゲーム
→詳細は「1982年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
高校野球
- 第54回選抜高等学校野球大会優勝:PL学園(大阪府)
- 第64回全国高等学校野球選手権大会優勝:池田(徳島県)
大学野球
- 第31回全日本大学野球選手権大会優勝:法政大
- 第13回明治神宮野球大会優勝:東海大
社会人野球
メジャーリーグ
→詳細は「1982年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ
- セントルイス・カージナルス(ナ・リーグ) (4勝3敗) ミルウォーキー・ブルワーズ(ア・リーグ)
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できごと
1月
- 1月9日 - プロ・アマ合同規則委員会が東京・本郷の旅館「天竜」にて開かれ、今季からパ・リーグの指名打者に偵察要員を送ること禁止すると決定[1]。
- 1月11日 - パ・リーグは阪急ブレーブスの佐藤義則の任意引退を公示。腰痛の治療に専念するため練習生扱いとする球団の方針による[2]。
- 1月21日 - ヤクルトスワローズはチャーリー・マニエルを自由契約にしたと発表[3]。
- 1月28日 - 阪神タイガースは近鉄バファローズから永尾泰憲を金銭トレードで獲得したと発表[4]。
- 1月29日 - 野球体育博物館に表彰される野球関係者を選ぶ特別表彰委員会が東京・九段下のホテルグランドパレスで開かれ、セ・リーグ会長の鈴木龍二と元全日本学生野球連盟会長の外岡茂十郎を選出[5]。
2月
3月
4月
- 4月3日 - 1982年度のプロ野球の公式戦がセントラル、パシフィックリーグが同時に開幕[11]。
- 4月4日
- 4月5日 - 第54回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、PL学園が二松学舎大付を15-2で破り、2年連続2回目の優勝[15]。
- 4月6日 - 日本ハムファイターズの間柴茂有が後楽園球場での対近鉄1回戦に先発して勝利投手となり、連勝記録を16に伸ばす[16]。
- 4月9日
- 4月18日
- 4月22日 - 巨人対中日5回戦が平和台球場で行われ、巨人対中日の公式戦はこれで通算1000試合[22]。
- 4月29日 - 阪急の山田久志が西宮球場での対ロッテ6回戦で勝利投手となり、プロ通算200勝を達成[23]。
5月
- 5月2日 - ロッテの有藤通世が川崎球場での対日本ハム5回戦の1回裏に三振を喫し、プロ通算1000三振を記録。史上8人目[24]。
- 5月4日 - ヤクルトの若松勉が神宮球場での対巨人3回戦で一回裏に安打を放ち、プロ通算1500安打を達成[25]。
- 5月7日 - 巨人の原辰徳が神宮球場での対ヤクルト5回戦の7回表に9号満塁本塁打を打ち、球団史上100本目の満塁本塁打[26]。
- 5月8日 - ロッテの有藤通世が後楽園球場での対日本ハム8回戦の6回表に5号本塁打を打ち、プロ通算300本塁打を達成[27]。
- 5月9日 - 日本ハムの柏原純一が後楽園球場での対ロッテ9回戦の10回裏に7号サヨナラ本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成[28]。
- 5月11日 - ヤクルトの大杉勝男が横浜スタジアムでの対大洋6回戦の6回表に2号3点本塁打を打ち、プロ通算450本塁打を達成[29]。
- 5月14日 - 東京運動部長会は、読売新聞社および日本プロスポーツ会議から委嘱されていた「沢村栄治賞」と「日本プロスポーツ大賞」の選考を辞退することを決定[30]。
- 5月15日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対日本ハム5回戦で、六回裏に左打席で3号本塁打を、八回裏に右打席で4号本塁打を放ち、日本プロ野球で日本人では初の左右両打席本塁打を記録[31]。
- 5月18日 - 日本ハムは球団代表の三原脩が健康面で不安から辞任し、後任に取締管理部長の小島武士が就任すると発表。三原は今後は相談役となる[32]。これに伴い、パ・リーグは連盟理事長だった三原の後任に南海の球団代表の塩見猛を選出することを決定[32]。
- 5月19日 - 大洋の福嶋久晃が後楽園球場での対巨人5回戦の2回表に2号2点本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成。史上120人目[33]。
- 5月21日
- 5月24日 - セ・リーグ会長の鈴木龍二は、巨人の江川卓が完投で6勝目を挙げた5月19日の対大洋5回戦で右手左指にばんそうこうを巻いて投球していたとして、江川に対し球団宛ての文書にて「警告処分」とした[36]。
- 5月27日 - ヤクルトの相馬和夫球団代表は遠征先の広島にて、二軍監督の内藤博文を一軍ヘッドコーチとすると発表。27日現在で10勝27敗、5位阪神と6ゲーム差のセ・リーグ最下位に低迷するチームの現状の打開策[37]。
6月
- 6月1日
- 6月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対巨人10回戦の1回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算1000得点を達成[40]。
- 6月5日 - 広島の山本浩二が広島市民球場での対巨人11回戦の六回裏に14号本塁打を放ち、プロ通算400本塁打を達成[41]。
- 6月6日 - 日本ハムのトニー・ソレイタが後楽園球場での対阪急9回戦の4回裏に11号3点本塁打を放ち、プロ野球通算100本塁打を達成[42]。
- 6月8日 - 阪神の藤田平が神宮球場での対ヤクルト9回戦の四回表に3号3点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[43]。
- 6月10日 - 広島の北別府学が藤崎台県営野球場での対中日9回戦に先発して10勝目を挙げ、球団創設以来初の10連勝を記録[44]。
- 6月16日 - 日本ハムの柏原純一が西宮球場での対阪急12回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成。史上229人目[45]。
- 6月18日 - 神宮球場でのヤクルト対大洋12回戦で、ヤクルト先発・鈴木正幸と大洋先発・野村収が共に被安打1で完投し、1試合最少安打2を記録。またヤクルトは26打数、大洋は25打数で合計51打数の1試合最少打数のプロ野球新記録[46][47]。
- 6月22日 - 巨人の浅野啓司が後楽園球場での対中日12回戦の9回表に金山卓嗣から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。史上65人目[48]。
- 6月25日 - 藤井寺球場で行われた近鉄対阪急13回戦で阪急が近鉄に2-7と敗れたため、西武が前後期制となって初の優勝達成。パ6球団では最後に前後期制で優勝した球団となった[49][50]。
- 6月27日 - 中日の谷沢健一がナゴヤ球場での対ヤクルト9回戦の三回裏に二塁打を放ち、プロ通算1500安打を達成[51]。
- 6月29日 - パ・リーグの前期日程が終了[52]。
- 6月30日 - 近鉄のスカウト部長の中島正明が午前0時20分、肝硬変のため兵庫県西宮市の西宮病院にて死去。62歳[53]。
7月
- 7月1日 - 日本ハムは前米国三菱商事副社長兼ロサンゼルス支店長の瀬古和男が球団社長に就任したと発表。丹羽芳道前球団社長は日本ハム本社専務に戻る。また、三原脩が取締役を辞任し相談役に専念することになった[54]。
- 7月2日
- 後楽園球場での日本ハム対近鉄後期1回戦で日本ハムの江夏豊が7回裏からリリーフ登板して勝利投手となり、プロ通算200勝を達成。史上18人目[55]。日本ハムの井上弘昭が8回裏に2号2点本塁打を放ち、プロ通算150本塁打を達成。史上65人目[56]。
- 阪神は甲子園球場での対巨人15回戦に6-4で勝利し、1976年4月以来6年ぶりの11連勝を記録[57]。
- 西武ライオンズ球場での西武対阪急後期1回戦で阪急のボビー・マルカーノが5回表に二塁打を放ち、プロ野球通算1000安打を達成。史上123人目で、外国人選手としては4人目[58]。阪急の加藤英司が7回表に二塁打を放ち、プロ通算300二塁打を達成。史上20人目[59]。
- 7月4日 - 広島の衣笠祥雄が広島市民球場での対中日15回戦に先発出場し、1500試合連続出場を達成[60]。
- 7月6日 - 阪急の加藤英司が西宮球場での対近鉄後期1回戦の一回裏に2点適時二塁打を打ち、プロ通算1000打点を達成[61]。
- 7月7日 - ロッテのレロン・リーが平和台球場での対西武後期二回戦で5号、6号本塁打を放ち、日本プロ野球通算150本塁打を達成。史上66人目、外国人選手では9人目[62]。
- 7月8日 - 近鉄の鈴木啓示が西宮球場での対阪急後期三回戦に先発し、七回裏に先頭打者の松永浩美を三塁ゴロに打ち取り、プロ通算4000イニングを達成[63]。
- 7月13日 - 日生球場にて近鉄対南海後期1回戦が行われ、近鉄が9対3で勝利し、球団通算1800勝を達成[64]。南海の山下律夫がこの試合に先発しプロ通算500試合登板を達成。
- 7月14日
- 7月18日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対広島15回戦の五回裏に22号2点本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[70]。
- 7月23日 - ジュニアオールスターで近鉄の金村義明がジュニアオールスター史上初のサイクル安打を記録。試合は6対1でウェスタン・リーグが勝利し、金村はこの試合、5打数4安打1本塁打1三振でMVP獲得[71]。
8月
- 8月1日 - 日本ハムの柏原純一が札幌市円山球場での対阪急ダブルヘッダー第2試合の後期6回戦の二回裏に17号本塁打を打ち、プロ通算1000安打を達成[72]。
- 8月6日
- 8月8日 - 第53回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場で14時から行われ、和歌山市の住友金属が福山市の日本鋼管に5対4で勝利し大会初優勝[75]。
- 8月10日 - 西武球場での西武対ロッテ後期4回戦で、西武は16-4で勝利。1試合24安打は球団創設以来1試合最多安打の球団新記録となる[76]。スティーブ・オンティベロスが4回裏に8号満塁本塁打を打ち、これはパ・リーグ通算400本目の満塁本塁打となる[76]。山崎裕之が八回裏に中前安打を打ち、プロ通算3000塁打を達成、史上19人目[77]。
- 8月12日
- 8月14日 - 阪急の山田久志が西武球場での対西武後期8回戦に先発し、プロ通算500試合登板を達成[80]。
- 8月17日 - 西武の山崎裕之が大阪球場での対南海後期7回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上17人目[81]。
- 8月19日
- 8月20日 - 第64回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園球場で行われ、徳島県代表の池田が広島県代表の広島商を12-2で破り初優勝。
- 8月24日 - 阪神の掛布雅之が甲子園球場での対ヤクルト19回戦の7回裏に27号本塁打を放ち、プロ通算1000安打を達成。史上125人目。更に同回裏に28号本塁打を放ち、1イニング2本塁打を記録。史上9人目(10度目)[84]。
- 8月29日 - 広島の衣笠祥雄が甲子園球場での対阪神20回戦に先発出場し、プロ通算2000試合出場を達成。史上18人目[85]。
- 8月31日 - 横浜スタジアムでの大洋対阪神21回戦で、阪神の七回表の攻撃で先頭打者の藤田平が三塁と本塁の間に飛球を打ちあげ、大洋の三塁手の石橋貢が捕球し損ねて三塁塁審の鷲谷亘はファウルと判定。これに対し阪神の監督の安藤統夫が石橋のグラブに当たったのでフェアだと抗議。守備走塁コーチの島野育夫が鷲谷を手でついたため、鷲谷は島野に退場を宣告。だが島野が暴行を続け主審の岡田功が止めに入ったのを今度はコーチの柴田猛が岡田に暴行を加える。審判団は阪神の2コーチの暴力行為に抗議しグラウンドから引き上げたが、安藤が岡田に謝罪し約10分の中断の後試合再開となった(横浜スタジアム審判集団暴行事件)[86]。
9月
10月
- 10月8日 - 阪急の松永浩美が西宮球場での対近鉄後期13回戦でサイクル安打を達成[95]。
- 10月9日 - 横浜スタジアムで大洋対巨人26回戦が行われ巨人は1-3と敗れ、全公式戦を終了、セ・リーグの優勝はマジック5の中日の残り8試合の結果次第となる[96]。
- 10月12日
- 10月14日 - パ・リーグのプレーオフ第4戦が後楽園球場で行われ、前期優勝の西武が後期優勝の日本ハムを7-5で破り、西鉄時代以来19年ぶり6度目のリーグ優勝[100]。
- 10月16日 - 広島の渡辺秀武が広島市民球場での対阪神26回戦で5回表2死から登板し吉竹春樹に死球を与え、日本プロ野球新記録の144与死球。渡辺の現役最後の登板となった[101]。
- 10月17日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日25回戦で中日が大洋に1-3と敗戦、これで18日の同球場のカードで中日が勝てばリーグ優勝、負ければ巨人が優勝という大一番となる[102][103]。
- 10月18日 - 横浜スタジアムでの大洋対中日26回戦のシーズン最終戦に中日が8-0で勝利し、8年ぶり3度目のリーグ優勝を決める[104][105]。この試合で、打率トップの大洋の長崎啓二を9毛差で追う中日の田尾安志に対し、大洋バッテリーは5打席全て敬遠で歩かせる。
- 10月20日
- 阪急は岡本一光を任意引退に、白石静生を自由契約とした[106]。
- 大洋はマイク・ラムとジェームス・ピータースを自由契約にした[107]。
- 10月21日 - 沢村栄治賞の選考が同賞の選考委員会によって行われ、広島の北別府学を選出。前年まで選考に当たっていた東京運動記者クラブ部長会が選考を辞退したため、今年度より選考委員会を設置[108]。
- 10月22日 - 阪急の山口高志が大阪市北区の球団事務所を訪れ、現役引退を申入れて了承される[109]。
- 10月25日 - 南海は岡田公意球団社長が辞任し、後任に南海電鉄専務の甲村甫が就任。併せて同調査部参事の泉谷一夫が営業取締役となる[110]。
- 10月30日 - 日本シリーズ第6戦がナゴヤ球場で行われ西武が中日を9-4で破り、4勝2敗で西鉄時代以来24年ぶり4度目の日本一[111]。
11月
- 11月1日
- 11月2日 - 近鉄は佐々木恭介が現役を引退しスカウトに就任すると発表[117]。
- 11月9日
- 11月11日 - 阪神のグレッグ・ジョンストンが藤江清志編成部長と話し合い、退団が決定。12月1日付で自由契約選手として公示[120]。
- 11月12日 - 第六回正力松太郎賞の選考が午後、東京・九段下のホテルグランドパレスにて行われ、西武ライオンズ監督の広岡達朗を選出[121]。
- 11月24日 - パ・リーグのオーナー懇談会が東京・九段下のホテルグランドパレスにて開かれ、プレーオフを残すことを条件に、来シーズより現行の2シーズン制から1シーズン制へ移行する事を決定[122]。
- 11月25日 - ドラフト会議が東京・九段下のホテルグランドパレスにて午前11時より行われ、72名を指名[123][124]。
- 11月29日 - 近鉄の井本隆と、ヤクルトの鈴木康二朗・柳原隆弘のトレードが成立[125]。
12月
- 12月1日 - ロッテは奥江英幸を自由契約にした[126]。
- 12月2日
- 12月7日
- 12月8日
- 12月9日 - 阪急はシカゴ・カブスのバンプ・ウィルスの入団が決定したと発表。アメリカに渡りバンプ側と入団交渉に当たっていた取締役の矢形勝洋が球団へ条件面で合意に達したと連絡した。4年契約で年俸は40万ドル[133]。
- 12月10日
- 12月15日
- 12月16日 - 阪神の小津正次郎球団社長は、去る8月31日に審判への暴行で無期限出場停止中の柴田猛、島野育夫両コーチを球団事務所へ呼び、今後の処遇を話し合い。両者はいずれも「いずれユニフォームを着ることを前提に考えて」球団職員として契約し、管理部付となった[137]。
- 12月18日 - 阪急はミネソタ・ツインズのグレッグ・ウェルズの入団を発表[138]。
- 12月21日 - 阪神の若菜嘉晴が午後、大阪・梅田の球団事務所にて球団社長の小津正次郎に対し「一身上の都合で退団したいので自由契約選手にして欲しい」と申し入れて了承される[139]。
- 12月22日 - 広島は広島の球団事務所にて福士敬章の任意引退を発表[140]。
- 12月29日 - 広島の水谷実雄と阪急の加藤英司のトレードが成立。24日に球団よりトレードを通告された水谷が球団に対し功労金を要求して折り合わなかったが、この日野崎泰一球団本部長と話し合い、年俸のアップ額の増額で合意したもの[141]。
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誕生
1月
2月
3月
- 3月16日 - ブライアン・ウィルソン
- 3月22日 - マイケル・モース
- 3月24日 - ダスティン・マゴワン
- 3月30日 - 高木康成
- 3月30日 - レスリー・アンダーソン
- 3月31日 - 柳田殖生
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
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死去
脚注
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