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青い珊瑚礁 (1980年の映画)
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『青い珊瑚礁』(あおいさんごしょう、原題:The Blue Lagoon)は、1980年のアメリカ合衆国の恋愛映画。ブルック・シールズ主演。監督はオリビア・ニュートン=ジョンとジョン・トラボルタの主演で大ヒットしたミュージカル映画『グリース』(1978年)を撮ったランダル・クレイザー。
この記事には性的な表現や記述が含まれます。 |
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概要
ヘンリー・ドヴィア・スタックプールによる1901年の小説『The Blue Lagoon』を原作として、1923年に製作されたモノクロの無声映画版、1949年に製作されたカラー映画版に続き、3度目の映画化となる。フィジーのヤサワ諸島の、ナヌヤ・レブ島にて撮影された[4]。
映画公開後は、無人島の生活をままごとのように描いている、性描写が全般的に綺麗ごと過ぎるなどで評論家たちから酷評されたが、商業的には大成功を収め、1991年に続編『ブルーラグーン』が公開された。
ストーリー
要約
視点
アーサー・レストレンジと8歳の息子リチャード、そしてリチャードの従妹で7歳になるエメラインを乗せ、サンフランシスコを目指して南太平洋を航海中のイギリス船で火事が発生する。船上はパニックになり、リチャードとエメラインは、コックのパディに連れられ小舟で脱出する。しかし船の爆発による煙で海上の周囲は何も見えず、アーサーが乗った救助船とはぐれてしまう。2日ほど漂流した朝、目の前に島が現れ、3人は上陸する。
毒がある赤いベリーの危険性や、救助を呼ぶ時はのろしを上げることなど、生活に必要なことをパディに教えてもらいながら3人は助けを待った。探索中のパディは島の反対側に恐ろしい原住民がいることに気付き、絶対に行かないように2人厳しく言い聞かせる。パディは島内で見つけた樽に入っていたラム酒[注 1]を飲み過ぎて急死してしまい、彼の遺体を見て衝撃を受けた2人は、ボートで別の海岸に移って新しい生活を始める。幼かった2人も助け合いながら生き延び、美しい少女と逞しい少年へと育って行く。
思春期を迎えたエメラインは、リチャードに少しずつ異性としての興味を持ち始める。エメラインは初めての生理に不安を感じ、リチャードも身体に変な毛が生えてきた。ある夜、悪夢でうなされたエメラインを慰めようと、リチャードは突然キスをして彼女に迫るが、エメラインは拒絶する。自分の性欲が理解できないまま、翌朝リチャードは岩陰で自慰にふける。水平線の向こうに船が見えた日、エメラインはそれを目視しながらも、のろしを上げずにやり過ごしたためリチャードは怒る。その後の些細な喧嘩が原因でリチャードはエメラインを家から追い出すが、エメラインが毒を持つオニダルマオコゼを踏んで衰弱すると、彼女が死ぬかも知れないと心配したリチャードは必死に介抱し、2人は愛し合うようになって行く。性的衝動に突き動かされた2人はセックスを始め、性交を覚えた2人が連日のように愛し合っているうちにエメラインは妊娠する。しかし性知識のない彼らは、お腹の中で動いているものが何なのかも理解できない。エメラインの下腹部が大きくなった頃、姿が見えない彼女を捜して島の反対側へ行ったリチャードは、近くの島から定期的にやってくる原住民の生け贄の儀式を目撃し、その場から逃げ出す。森の奥へ進むと陣痛で苦しむエメラインを見つけ、彼女は子供を産む。2人は子供に、自分たちを守ってくれたパディと同じ名を与えて育てる。
パディが歩く歳になった頃、リチャードたちの捜索を続けていたアーサーの乗った帆船が島の傍を通りかかる。折しも親子3人は泥遊びで全身真っ黒で、望遠鏡で見たアーサーは息子たちだと気づかず、2人も文明社会の象徴である船に背を向けるのだった。幼い頃に住んでいた浜辺を訪ねた2人が感傷に浸っている間、子供のパディは赤いベリーの枝を手折っていた。エメラインとパディが小舟に乗っている時にオールが1本流され、リチャードは泳いで助けに行くが、エメラインは迫ってくる鮫を追い払おうと残ったオールも投げつけてしまう。3人が乗ったボートは沖から遠ざかり、潮に流されて大海に出る。永遠の眠りにつくというベリーの実をパディが食べているのを見て絶望した2人は、後を追うように残りの実を口に入れて横たわった。やがてアーサーの帆船が漂流中の小舟を見つけ、ボートに飛び移った船員は3人を覗き込むと「彼らは眠っています」とアーサーに報告をする。
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キャスト
- 2015年3月21日にWOWOWで放送された際にカット部分を同一声優で追加録音した「吹替補完版」が放送された。また、子役が担当していた箇所は別の声優が代役を務めた。
スタッフ
- 監督 - ランダル・クレイザー[6]
- 製作 - ランダル・クレイザー[6]
- 製作補 - リチャード・フランクリン[6]
- 脚本 - ダグラス・デイ・スチュワート[6]
- 撮影 - ネストール・アルメンドロス[6]
- 水中撮影 – ロン・テイラー[7]、ヴァレリー・テイラー[7]
- 編集 - ロバート・ゴードン[6]
- 音楽 - ベイジル・ポールドゥリス[6]
- 美術 - ジョン・ドーディング[6]
- 衣装デザイン - アフロディーテ・コンドス[7]
- 第一助監督 - ピーター・ボガート[7]
- 第二助監督 - マーク・パイパー[7]
- ロケーション・マネージャー - フィリップ・ワース[7]
- スタント・コーディネーター/スタント・ダブル - キャシー・トラウト[7]
- 特殊効果 - チャック・E・スチュワート[7]
- 視覚効果 - ジェフリー・クライザー[7]
- 字幕翻訳 - 野中重雄[6]
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製作
ヘンリー・ドヴィア・スタックプールの小説『The Blue Lagoon』を敬愛していたランダル・クレイザーは、1949年に映画化された『青い珊瑚礁』を、TVムービー『プラスチックの中の青春』(1976年)で組んでいた脚本家ダグラス・デイ・スチュワートのシナリオでリメイクする企画を考えた。色々な映画会社に持ち込んでは断られ、クレイザーとスチュワートが諦めかけていた時、当時のコロンビア ピクチャーズの社長フランク・プライスが「うちで作ろう」と申し出てくれたことで実現に向けて動き出した[8]。
早速クレイザーは映画のロケ場所となる島を1,000か所調査し、候補をフィジー諸島の300か所に絞り込んだ。最終的には、元ケーブルテレビ幹部の実業家リチャード・エバンソンが個人所有するナヌヤ・レブ島を選んだ。透き通った青い海に様々な魚が泳ぎ、ヤシの木とジャングルに囲まれた砂浜、三日月型の入り江があるなど、原作で描かれる島のイメージに近かったことが決め手になった[9]。さらに原作の話の展開に合わせて、美術スタッフは発泡スチロールやポリウレタン、ブロックなどを使い、原住民たち崇拝する大きな石像と溶岩から出来たという設定の滝を新たに製作した[9]。
撮影監督のネストール・アルメンドロスは、自然光を多用して撮った『天国の日々』(1978年)でロサンゼルス映画批評家協会賞、全米映画批評家協会賞の撮影賞を受賞した名カメラマンだったことから、彼の仕事を大変気に入ったクレイザーが声をかけた[9]。当時のアルメンドロスには仕事の依頼が殺到していたが、海が好きだった彼はスチュワートが書いた脚本を読み、とても感動したという理由で『青い珊瑚礁』に参加した[8]。
1979年7月13日付の『ロサンゼルス・タイムズ』によると、『宇宙空母ギャラクティカ』(1978年)に参加していたフランス人の衣装デザイナー ジャン=ピエール・ドルレアックが本作の衣装制作を手伝っている。ドルレアックは細長く刻んだ綿で編んだシャツに珊瑚や貝殻をあしらった物や、ぼろ布を使ったウェディングドレス、スポンジで作った柔らかいベルトなど、いかにも未熟な若者が手作りでこしらえたように見える着衣を用意した[9]。
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キャスティング
要約
視点

クレイザーは、主人公のエメライン役に最初からブルック・シールズを最有力候補に考えており、自分の映画『グリース』(1978年)の内覧試写にシールズを招待し、『青い珊瑚礁』の原作を渡して読んでおくように言っておいた。だがいくら待ってもシールズからの返事はなく、彼女の母親から「ヌードの仕事は駄目」と言われたことで、他の女優のオーディションを進めることにした。最初にケリー・プレストンとジョディ・フォスターの面接をして、クレイザーは好感触を掴んでいたが、のちに2人ともヌードがNGということで断ってきた。両名とも当時16歳だった[8]。17歳のジェニファー・ジェイソン・リーもシールズに次ぐ主役候補で、彼女自身はヌードに抵抗がなかったが、父親のヴィック・モローは娘が裸になることを許さなかったため、この話も流れてしまった[10]。
スタックプールによる原作小説には、実際に映画化されたものより、ずっと多くのヌードとセックスが盛り込まれていた。原作を賞賛していたクレイザーは、成長した2人が全編にわたって全裸のまま島で過ごすことを想定していたが、それがオーディション参加者を尻込みさせる結果となった。1年間に及ぶ選考でジョディ・フォスターとケリー・プレストンの他にエメライン役のオーディションを受けた女優は以下の通り。ロザンナ・アークエット(当時19歳・以下同)、リンダ・ブレア(20歳)、ダリル・ハンナ(18歳)、テイタム・オニール(15歳)、ミシェル・ファイファー(21歳)、モリー・リングウォルド(11歳)、キャスリーン・ターナー(24歳)、ショーン・ヤング(19歳)、ヘレン・ハント(17歳)。オーディションに来た女優以外にもイザベル・アジャーニ(23歳)、キム・ベイシンガー(25歳)、クリスティ・マクニコル(15歳)、マリエル・ヘミングウェイ(17歳)、ブリジット・フォンダ(25歳)、サラ・ジェシカ・パーカー(14歳)、メラニー・グリフィス(21歳)、デルタ・バーク(22歳)、キャリー・フィッシャー(22歳)なども候補に検討されていた[10][8]。
もう1人の主人公であるリチャード役の配役に、シルベスター・スタローン、ジョン・ベルーシ、マーク・ハミル、クリストファー・リーブ、それにクレイザーの監督作『プラスチックの中の青春』と『グリース』に出演したジョン・トラボルタも候補に挙がっていた。ロビー・ベンソン(23歳)とルー・ダイアモンド・フィリップス(17歳)、マット・ディロン(16歳)もオーディションを受けた[10]。ディロンはスクリーン・テストの際に「キンタマは見せねぇ!」と言って出演の話はなくなった。子役出身の俳優ウィリー・エイムズが男根を見せても良いと言ってきたので、主演はエイムズとダイアン・レインでほぼ決定と思われた。カメラマンのアルメンドロスが先にフィジーに渡って撮影の準備を進めていた頃、別の映画の仕事をしていたレインは、エイムズとヌードシーンについて話し合った。クレイザーはエイムズから電話を受け「やっぱり裸は困るから、2人とも降りることにした」と言われて、レインもろともNGになった[注 2][8]。
撮影日が迫ってきたため、クレイザーは改めてブルック・シールズに出演のオファーを出した。当時14歳のシールズは、乳房を髪で、股間は衣装で隠し、全裸が必要なシーンはボディダブルを使うという条件で出演に同意。それまでシールズのヌード場面のボディダブルを担当していた女性が骨折で参加困難だったことから、クレイザーはイルカの調教師として映画に雇っていた32歳のスキューバーダイビングの名手キャシー・トラウトに、ヌードの代役を引き受けてくれるか相談し、シールズと同じ体格だったトラウトは承諾した[10]。トラウトは最も深い深海まで行けた女性ダイバーとしてギネスブックに登録され[11]、素潜りも得意だったことから、全裸のまま海中で泳ぐ場面を始め、乳房がアップで映るカットや、妊娠によるつわりでエメラインが嘔吐している裸の後ろ姿などを演じている[注 3]。ロケ地にはシールズの母親と教育係も付き添い、風で衣裳がめくれて乳房が見えないよう、衣装の内側にテープを貼って肌にくっつけたり、両胸に垂らした長髪もテープで胸に貼りつけて乳首が隠れるよう工夫をすることになった[8]。
シールズの出演が決まったことで、すぐ相手役の白人男性を探すことになり、クレイザーは今までスクリーン・テストを受けた俳優の映像を見直した。クリストファー・アトキンズはニューヨークで何度も面接をしていた、映画の出演経験がない新人だったが、その頃は主役のイメージと違うと感じたクレイザーが見落としていたのだ。改めてアトキンズのテスト映像を見たクレイザーは、日焼けさせて髪にパーマをかけたワイルドな雰囲気にすれば、背の高い彼はシールズの相手にピッタリだと思って抜擢した。アトキンズは全身を日焼けさせるために、シールズよりも2週間早くロケ場所の島に向かった[8]。
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撮影
要約
視点

1979年7月4日の『バラエティ』誌は、映画の主要撮影が6月18日に始まったという速報を掲載した[9]。陸地での撮影はネストール・アルメンドロスが担当したが、水中撮影はロン・テイラーとヴァレリー・テイラーの夫婦が受けもった[12]。2人とも元はスキューバーダイバーで、本作以前に『ジョーズ』(1975年)や『オルカ』(1976年)などの海が舞台の動物パニック映画から、海洋サスペンス映画『ザ・ラスト・ウェーブ』(1977年)の水中撮影を担当してきたベテランだった。クレイザーはテイラー夫妻による海底内の撮影が本当に素晴らしかったと回顧している[8]。
島での撮影は3班に分かれて効率よく撮ることにした。パディ役のレオ・マッカーンと子役たちの生活を撮るクレイザーの班、シールズたち2人を撮る班、そしてテイラー夫妻がカメラを担当する海の水中撮影隊で、3班が同時進行で撮影をする日もあった。子供たちの撮影が早めに終わったクレイザーは、シールズとアトキンズの演出に就いた[8]。
撮影当時、アトキンズとシールズの身長は、ほぼ173cm前後でアトキンズが若干低かった。撮影中はシールズがアトキンズよりも背が低く見えるように、2人が並んで歩くショットでは、浜辺に浅く掘った溝の中をシールズが歩くことで身長差が出るように工夫をした[10]。成長期だったシールズは撮影期間中にも背が伸び、エメラインとリチャードが結婚式の真似事をして2人で踊るシーンでは、アトキンズの背を高くするため厚底の靴[注 4]を履かせた[8]。
リチャードがマスターベーションをする場面で、男の性事情に疎かった当時のシールズは、アトキンズの動き(陰茎を自分でしごく動作)の意味が分からず、クレイザーに「結局あれは何をやっているの?」と質問して大人を困らせた。その後、エメラインがリチャードをからかうシーンで「アソコを手でいじっているでしょ。最後まで見たわよ」と話す芝居では、事前にクレイザーが台詞の内容を説明し、シールズは「ちゃんと意味を理解してから台詞を言ったわ」と笑いながら明かしている[8]。
撮影は台本の順番通りではなかったので、エメラインとリチャードが性行為を覚えた後、裸で川遊びをするシーンの方を先に撮っていた。それまでアトキンズが裸になる撮影時はシールズの代役キャシー・トラウトが相手だったが、ここに来て初めてシールズに全裸を見せることになった。シールズはアトキンズの陰茎をあまり見ないよう気を遣っていたが、アトキンズの方は彼女の視線が気になって演技に集中できず、何度も撮り直しになった[8][10]。
エメラインとリチャードが初めてセックスをするシーンは、クレイザーが主役の2人の機が熟するのを待っていたため、撮影スケジュールの終盤に撮った。繊細なシーンであることから、監督のクレイザーは人払いした上で、自分以外はカメラマン、音声、メイク係の3名だけで撮影に臨んだ。キスをする際にアトキンズはシールズの口に舌を入れようとしたが、彼女は不慣れだったのか上手く出来なかった。続いてシールズを押し倒す流れでは、乳首に肌色のテープを貼っている彼女の乳房を隠すように胸を押し付けたが、シールズがアトキンズの全裸を正面からよく見ていたことも手伝って、彼は本当に興奮してしまった。身体を密着させたシーンを撮り終えるまで勃起が収まらず、シールズにすまないと気を揉むアトキンズに、クレイザーは「自然な現象だから、恥ずかしがらなくても大丈夫」と声をかけた。肝心のシールズは、撮影時に2人で齧っていたパパイヤの果汁で、身体がベタベタしたことが不快だったと回想している。なお、2人がセックスを重ねて行く日々に数カットほど白いイソギンチャクの映像が挟まれるが、シールズの解説によると「この場面のテーマは“sperm”(精子あるいは精液)」で射精のイメージシーンであり、一連の描写は「いとこ同士だから近親相姦ではないかと、当時は物議を醸した」(シールズ談)とのこと[8]。
3か月半に及ぶナヌヤ・レブ島のロケを終えてスタッフが島を去る日、撮影に協力してくれたフィジーの人たちと原住民を演じてもらった島の部族が全員見送りに集まり、主演の2人に手作りのレイと花束を贈って歌を唄ってくれた。2人は人々の暖かい思いやりと、島を離れる寂しさとで涙が止まらないほど泣き、この感動は一生忘れないだろうと思ったという[8]。
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ラストシーンの解釈
1980年6月にアメリカで公開された『青い珊瑚礁』は450万ドルの製作費に対し、全世界で5,885万ドルもの興行収入を記録して成功を収め、1980年度の北米興行収入ランキング(全米Box Office調べ)ベストテンで第9位にランクインした[13]。
この大ヒットにより、ブルック・シールズは多くの人々から、あの結末はどういう意味なのかと聞かれるようになった。自分にとって一番の大作映画で、思い出が詰まった作品だけに、みんな死んでしまったというには悲し過ぎると思ったシールズは「3人とも生きているわ」と話していた。映画ではエメラインたちを乗せたボートを見つけた船員が「彼らは眠っています」と話し、死んでいるとも生きているとも取れる曖昧な終わり方だが、監督のクレイザーの中では“死んでいる”という考えであった[注 5]。映画公開から約20年後の1999年10月5日、アメリカでリリースされた『青い珊瑚礁』スペシャル・エディションDVDに、監督・脚本家と主演2人が語る2種類のオーディオ・コメンタリーが収録された[14]。このコメンタリーの解説でシールズは「誰もがきっと生きている、眠っているだけだと信じていたのに…数年前に(親子3人は)死んでいることを知って凄く頭に来た」と話している。クレイザーはエメライン1人が生き延びて、映画冒頭で船が出港したボストンに帰る未採用の脚本もあったと言い、シールズの話では上流社会のボストンが描かれていたという[8]。
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評価
要約
視点
レビューアグリゲーターのRotten Tomatoesでは、26件のレビューに基づき支持率は12%、平均評価は3.3/10点になっている。同サイトの総評は「愛すべき駄作の『青い珊瑚礁』は、いたずらっぽいファンタジーでありながら、あまりにも清純過ぎて真に楽しめるようなものではない」というものだった[15]。加重平均を用いるMetacriticは、14件の批評家レビューによる平均スコアが100点満点中31点で「概ね不評」の評価となっている[16]。
『バラエティ』誌は「若々しいカップルが思春期を過ごし、自然で本能的な性的発達を得て親になるまでの過程を、いやらしい視線を送ることなく素直に描いている」と書き、「2人のロマンスは、ネストール・アルメンドロスの素晴らしい撮影とベイジル・ポールドゥリスの音楽、そして息を呑むような美しいフィジー島のロケーションにより、さらに引き立てられている」と絶賛している[17]。

こうした肯定的な批評がある一方で、この映画は評論家の酷評に晒され、特に多かったのは性への目覚めをテーマに掲げながら、性教育を受けずに育った若者がセックスを通して得る悦び(互いの性器の挿入、オーガズムによる膣内での射精)をあからさまに隠していること[18][19][20]、文明社会の外で生活する2人の暮らしを幼く牧歌的に描いていること[20][21]、人食い人種のような危険な原住民が2人の脅威にならない中途半端な描かれ方をしている点だった[21][22]。
映画評論家のロジャー・イーバートは、「今年1番のつまらない映画だ。もし7歳の子供2人が無人島に漂着したらどうなるかを真剣に描いていたら、もっと面白く出来たかもしれない。ソフトコアなセックス映画として作れたはずだが、この映画は現実離れしており、性や性器に対する描写があまりにも抑制され過ぎている。正直に言うが、この映画について事前に得ていた情報から、私は難破した2人の子供がセックスの悦びを発見することを期待していた」と、セックスへの踏み込みが足りないことを指摘した。さらにイーバートは「映画の結末は怒りを掻き立てる。全てを諦めた2人は、永久に目を覚まさない赤いベリーを口にした。意識を失くした彼らは生き延びるのか、死ぬのか? そもそもあのベリーは何だったのか? 映画は逃げ腰だ。きちんとした結末を用意することは、この映画に荷が重かったのだろう」と非難して1.5点を与えた[20]。
『タイムアウト』誌は「この映画は自然の中の愛を宣伝しながら、社会の束縛から解放された2人がロールプレイングに身を投じるだけで、自然なことなど何もない。“Blue Lagoon”(原題)というタイトルで、本当にブルーなのは海の色と、テレビCMのように上品なヌードに浪費した時間に対する感情だけだ」というレビューを掲載した[18]。
1980年9月1日の『ピープル』誌には「この作品は映画のふりをした、豊かなフィジー諸島旅行記」と書かれた[9]。
『ワシントン・ポスト』の記者ゲイリー・アーノルドは、「クレイザー監督とそのスタッフは、この無知でロマンティックな牧歌が、作り手と同じぐらいナイーブな感性を持つ観客の心に訴えかけることが出来れば、興行収入で勝利するかも知れない。性に関して何も理解できないリチャードとエメラインが滑稽に見えるのは当然だ。カメラは2人に密着しつつも、露骨なエロティシズムからは遠ざかって行く」と皮肉をこめたレビューを書いた[21]。
受賞・ノミネート
ノミネート
- 第53回アカデミー賞
- アカデミー撮影賞 - ネストール・アルメンドロス
- 第8回 サターン賞
- サターンファンタジー映画賞
- 第38回 ゴールデングローブ賞
- ゴールデングローブ新人男優賞 - クリストファー・アトキンズ
- 第2回 ヤング・アーティスト賞
- 最優秀長編映画賞 - ファミリー・エンターティンメント部門
- 長編映画部門 最優秀若手男優賞 - クリストファー・アトキンズ
- 長編映画部門 最優秀若手女優賞 - ブルック・シールズ
- 1980年度 スティンカーズ最悪映画賞
- 最低俳優賞 - クリストファー・アトキンズ
- 最悪のカップル賞 - クリストファー・アトキンズとブルック・シールズ
受賞
- 第3回 ジュピター賞
- 最優秀国際女優賞 - ブルック・シールズ
- 第1回ゴールデンラズベリー賞
- 最低主演女優賞 - ブルック・シールズ
- 1980年度 スティンカーズ最悪映画賞
- 最低女優賞 - ブルック・シールズ
- 最も邪魔な音楽 - ベイジル・ポールドゥリス
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脚注
外部リンク
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