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須波阿湏疑神社
福井県今立郡池田町稲荷にある神社 ウィキペディアから
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須波阿湏疑神社(すわあずきじんじゃ)は、福井県今立郡池田町稲荷にある神社。
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「湏」(さんずい+頁)がJIS X 0208に含まれない字であるため、ウェブ上では「須波阿須疑神社」という代用表記も見られる(本来は別字)。
概要
『延喜式神名帳』にある「須波阿湏疑神社三座(越前国・今立郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社と呼ばれる。
文化財
- 本殿
- 三間社流造、桁行3間4.88メートル、梁間2間3.15メートル、檜皮葺、向拝3間。室町期、県内最古の神社本殿建築で、昭和16年(1941年)に当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝)に指定され、1950年の文化財保護法施行後は国の重要文化財となっている[1]。
- 拝殿
- 現在の拝殿は、江戸時代前期の元禄2年(1689年)に建てられたもので、入母屋、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行8間、梁間5.5間、外壁は素木板張り。この拝殿は能舞台にもなっており、大正5年(1917年)までは、ここで能が奉納されていた。江戸前期と歴史は古く、町の文化財に指定されている。
- 山門(楼門)
- 三間一戸、切妻、銅板葺(元茅葺)、八脚楼門形式となっている。外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、木部は弁柄色、神仏習合の名残が見られる。江戸後期の楼門建築の遺構として貴重で、こちらも町の文化財に指定されている。
特徴
神事
- 例大祭(池田大祭)
- 例大祭は毎年1回、6月10日周辺の3日間で行われる。豊作などを願う行事として、江戸時代以前から続く。
歴史
創建は第25代武烈天皇の御代、信濃国一宮である諏訪大社の御分霊(建御名方神)を勧請したのが始まりとされている。 その後、地元神で「あづき神」、つまり小豆島の神である大野手比売命を合祀し、奈良時代の霊亀2年(716年)には倉稻魂命(稲荷神)を合祀した。
現在までに、正殿が倉稻魂命、右殿が建御名方命、左殿が大野手比売命で、太田命・大己貴命を配祀する。池田郷の48ヶ村の惣社として信仰を集め、歴代領主にも崇敬された。
中世の戦乱により一時衰退したが、延徳3年(1491年)、朝倉貞景の家臣池田時忠が再興し、社殿を造営した。これが現在の本殿である。
しかし、安土桃山時代の天正2年(1574年)、一向一揆によって本殿を残して多くの社殿、社宝、記録などを焼失。庇護者だった朝倉氏も滅亡したため、再び衰退する。
文禄4年(1595年)から再興され、慶長5年(1600年)には拝殿が再建された。その後の領主からは修理・改修のごとに白銀が寄進された。
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現地情報
所在地
福井県今立郡池田町稲荷13-1
交通アクセス
周辺
脚注
外部リンク
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