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高森泰男
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
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高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日 - 2016年以前)は、岡山県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。
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経歴
関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。1952年に立教大学に入学。在学中の1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、第3回国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。
大学2年次の1955年に日本代表に選出され、1月2日のビルマ(保健大臣チーム)戦で初出場を果たした。大学4年次の1956年にメルボルンオリンピック予選の日本代表に選出・出場し、同年11月の本大会にも出場した[3]。
1956年に大学を卒業して日本鋼管サッカー部に入部。闘志を前面に出した激しいディフェンスで中心選手として活躍、高森のプレースタイルは後の日本鋼管のチームカラーとなるなど、強い影響力を与えた。また1962年から1966年まで選手兼任監督を務めた。また、1958年のアジア大会、1959年のローマ五輪予選、1960年の1962 FIFAワールドカップ・予選に出場するなど、通算で国際Aマッチ30試合に出場した。
なお、詳細な没年は不明であるが、2016年7月時点で故人となっている[2]。
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所属クラブ
個人成績
代表歴
出場大会
- メルボルン五輪 (1956)
- アジア競技大会 (1958,1962)
- ローマ五輪予選 (1959)
- 1962 FIFAワールドカップ・予選 (1960)
試合数
- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1955-1963)
出場
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指導歴
- 1962年-1966年 日本鋼管 選手兼任監督
監督成績
- 全国社会人サッカー選手権大会 優勝(1965年)、準優勝(1966年)
- 第21回国民体育大会 準優勝(1966年)
出典
関連項目
外部リンク
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