トップQs
タイムライン
チャット
視点
高田和子
箏曲家、三絃奏者 ウィキペディアから
Remove ads
高田 和子(たかだ かずこ、1950年(昭和25年)11月8日 - 2007年(平成19年)7月18日[1])は、山田流箏曲家、三絃奏者。和楽器の人材派遣玉手箱代表[1]。
人物・生涯
本名は野津和子[1]。箏を中能島欣一と谷珠美に、さらに大学院を出てから、三絃を杵屋正邦に師事高校1年のときに箏を習い始め、大学入学の1年前から三味線の手ほどきを受けた。[注釈 1]。NHK邦楽技能者育成会18期首席修了。東京芸術大学卒業。1976年(昭和51年)同大学院修了。1983年(昭和58年)より一柳慧、福士則夫、石井眞木らへの委嘱初演のリサイタルを重ね話題を呼ぶ[注釈 2]。1990年(平成2年)4月に高橋悠治と出会い、以後共同で作品の制作を続ける。1991年(平成3年)9月、高橋・高田共作のコンピュータと三絃弾き語りのための『水……』を池袋電脳カフェにて初演。また、同年より海外各地で古典や現代の三絃曲を演奏。1993年(平成5年)岩城宏之指揮によるオーケストラ・アンサンブル金沢と、高橋悠治作曲三絃弾きうたいとオーケストラのための『鳥も使いか』を初演。1994年(平成6年)には、オーケストラアンサンブル金沢の海外公演にソリストとして同行し、シドニー・オペラハウス、メルボルン、シンガポールで再演、好評を博す。さらに日本フィル、大阪フィル、神奈川フィル、と共演。海外でのソロ公演も多数。1996年(平成8年)、米川裕枝と共同企画によるコンサート・シリーズ「闌声」をスタート、以後数回の公演を行う。1997年(平成9年)札幌コンサートホールKitara(キタラ)で開催された国際教育音楽祭パシフィック・サウンディング演奏会に出演。1999年(平成11年)和楽器の人材派遣・玉手箱を設立、代表となり、さらに同年、和楽器プロジェクト「糸」を結成、代表となる[注釈 3][注釈 4]。2000年(平成12年)東京芸術大学非常勤講師をつとめる。また、アジアのダンサーとのコラボレーション、ジャズや即興系演奏家との共演を行い、三絃と歌のつくりだす新しい音楽を追求した[2][3][1]。
Remove ads
録音
- 『三絃』コジマ録音、1980(西潟昭子、坪能克裕、池辺晋一郎、三枝成彰、佐藤聰明、岡田知之打楽器合奏団と共作)
- 『現代の三絃 ベスト25』ビクター、1986所収 一柳慧 作曲「三弦独奏のための臨界域」高田 三弦
- 『一枝繚乱』フォンテック、1992(6世福原百之助、杵屋正邦、一柳慧、北爪道夫、福士則夫、細川俊夫と共作)
- 『空気の音楽』ALM Records、1992(三宅榛名、吉野弘志、谷珠美、高橋悠治、岡田知之、洗足学園ウィンド・オーケストラ、河知智良と共作)
- 『21世紀へのメッセージ 第1巻』Deutsche Grammophon、1994(高橋悠治、一柳慧、新実徳英、西村朗、岩城宏之、オーケストラ・アンサンブル金沢と共作)
- 『鳥のあそび 高橋悠治リアルタイム6』フォンテック、1994(高橋悠治と共作)
- 『音楽のおしえ 高橋悠治リアルタイム7』フォンテック、1996(宮田まゆみ、石川高、八百谷啓、中村仁美、芝祐靖、角田眞美、田中悠美子、米川裕枝、新井弘順、海老原廣伸、数住岸子、松崎裕、山本真、神谷敏、山下秀樹、吉原すみれ、山口恭範、松倉利之、高橋悠治と共作)
- 『糸』フォンテック、1999(野村誠、高橋悠治、新垣隆、石川高、西陽子、田中悠美子、神田佳子と共作)
- 『別れのために』フォンテック、1999(ロッシーニ、羅暁信、高橋悠治、武満徹、サティと共作)
- 『スイジャクオペラ 泥の海 高橋悠治リアルタイム10』フォンテック、2000(高橋悠治、藤井貞和、西岡茂樹、神田佳子、田中信昭と共作)
- 『柴田南雄と日本の楽器』フォンテック、2000(柴田南雄、芝祐靖、三橋貴風、沢井一恵と共作)
- 『三絃 弾きうたいの世界』フォンテック、2000(下山一二三、間宮芳生、唯是震一、芝祐靖、石井眞木、寺嶋陸也、石川高と共作)
- 『地平線のドーリア 異国の鳥たち インタースペース 鳥も使いか』WARNER MUSIC JAPAN、2009(武満徹、メシアン、高橋悠治、木村かをり、オーケストラ・アンサンブル金沢、岩城宏之と共作)
Remove ads
作品
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads