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高賀茂諸雄
奈良時代の貴族。正五位下・三河守。子に高賀茂里人、賀茂伊予人 ウィキペディアから
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高賀茂 諸雄(たかかも の もろお)は、奈良時代の貴族。名は諸魚とも記される。氏姓は賀茂朝臣のち高賀茂朝臣。官位は正五位下・三河守。
経歴
近衛将監を経て、天平神護元年(765年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵。兄弟の円興が道鏡政権の一翼を担う中で、神護景雲2年(768年)従五位上、神護景雲4年(770年)正五位下と、称徳朝にて順調に昇進する一方、員外少納言などを務めた。またこの間の神護景雲2年(768年)には高賀茂朝臣に改姓している。
光仁朝の後半は神祇大副・兵部大輔と京官を務める。桓武朝に入ると天応2年(782年)尾張守と地方官に転じ、延暦5年(786年)中宮亮として京官に復すが、延暦8年(789年)三河守と再び地方官に転じた。なお、光仁朝から桓武朝にかけてほぼ20年の長きに亘って昇進は叶わず、位階は正五位下のまま留まっている。
官歴
『続日本紀』による。
系譜
脚注
参考文献
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