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高野宗順
幕末の公家、明治期の宮内官・政治家・華族 ウィキペディアから
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高野 宗順(たかの むねおさ)は、幕末の公家、明治期の宮内官、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓は松木[1]。
経歴
山城国京都で左近衛中将松木宗有の二男として生まれる[1][2][3][4]。安政4年4月(1857年4-5月)、従五位下に叙された[2]。慶応元年10月(1865年11-12月)侍従に任じられ、明治2年2月(1869年3-4月)従四位上に叙されたが、1879年(明治12年)4月、病のため松木家廃嫡となり位記返上を命ぜられた[2][3]。1880年(明治13年)5月、京都府雇・庶務課勤務となり、以後、京都府等外二等出仕、京都府九等属、宮内属、東華銀行取締役などを務めた[2][3][5]。先代の子爵高野保誠死後に養子となり、1890年(明治23年)9月16日、子爵を襲爵した[1][2][3][4][6]。
1896年(明治29年)10月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、1911年(明治44年)7月9日まで3期在任した[5]。高野子爵家は負債が多く[9]、1912年(明治45年)2月16日、華族礼遇が停止され[10]、同年12月16日に失爵[11]、正四位返上を命じられ[12]、勲四等を褫奪された[13]。
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系譜
脚注
参考文献
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