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鵜沼朝日町
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鵜沼朝日町(うぬまあさひまち)は、岐阜県各務原市の地名。現行行政町名は鵜沼朝日町一丁目から鵜沼朝日町五丁目。
地理
各務原市の東部の鵜沼地区に位置する。町域の東部と南部は鵜沼大伊木町、西部は前渡東町及び航空自衛隊岐阜基地、北部は鵜沼三ツ池町、鵜沼各務原町に接する。
戦後、陸軍各務原飛行場東飛行場を開拓した地区である。地名の「朝日町」は「朝日が天に昇るがごとく開拓が成功して、社会に貢献すると共に各家庭が隆昌すること」を考慮した名である[4][5]。かつては鵜沼町朝日区であった[6]。
- 道路
- 岐阜県道17号江南関線
- 岐阜県道95号芋島鵜沼線
- 各務原駅前通り
- 産業通り
歴史
この地域は各務原台地の原野であったが、1917年(大正6年)に陸軍各務原飛行場が完成。この地域は各務原飛行場東飛行場となる[7]。戦後、東飛行場の北半分(現在の鵜沼各務原町の一部)は地元の農家に払い下げられたが、南半分は開拓地として開放され、1945年(昭和20年)に岐阜陸軍航空整備学校の復員兵を中心に「農耕隊」を結成し開墾に着手する[8]。1946年(昭和21年)には「各務原開拓団」が結成され、93戸が入植する[9]。旧東飛行場は笹の原野を平坦にして固めたものであったため、開墾は困難であった。
1948年(昭和23年)4月、開拓地が稲葉郡鵜沼町朝日区として発足(地名としては鵜沼町字東旭、字西旭)[4]。同年8月には各務原開拓団を発展解消し、「各務原開拓農協」が発足。開墾は進められ、1951年(昭和26年)に開墾が完了する[10]。
朝日区は農業地域となり、サツマイモ、タバコ、スイカ、畜産(養豚)、酪農(乳牛、ヤギ)が行われ[10][11]、サツマイモを利用した加工品(水飴、デンプン、ぶどう糖)を製造する工場も造られた[10][11]。
昭和30年代から徐々に住宅や工場が建てられ、徐々に農地は減少。農業従事者も減少し、1973年(昭和48年)には「各務原開拓農協」が解散[10][12]。
この地域一帯が鵜沼土地改良区西工区として区画整理され[13]、1975年(昭和50年)1月21日、鵜沼朝日区(鵜沼字東旭、鵜沼字西旭)をもって鵜沼朝日町を設置する[14][15]。
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世帯数と人口
2024年(令和6年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[16]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[17][18]。
交通
- 各務原市ふれあいバス東西線朝夕便、稲羽線
- チョイソコかかみがはら
- 町内に駅は無い。最寄りの駅は名古屋鉄道各務原線二十軒駅、名電各務原駅。
主な施設
- 東ライフデザインセンター
- 陵南福祉センター
- 朝日コミュニティセンター
- 朝日稲荷神社
- 本栄寺
脚注
参考文献
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